今日も一人でお昼ごはん

コミュ障・人見知りで友達のいないぼっちおばさん専業主婦のひとりごとです。

15年前の日記

 

こんにちは。

 

先日、知人が10年日記をずっと付けているということを話していて(そのわりに彼女は記憶違いが多いような^^;)、ああ、そういえば私も3年日記を付けていたけどすぐダメになっちゃったことを思い出しました。

 

また付け始めようかと本棚を探してたらありましたよ、その昔の日記帳。

見てみたら、2004年の10月~12月までの

たった3カ月で終わっていました。短か!(笑)

でも読み出すとこれが面白くて止まらない。

自分の思い込みと事実が違うことに驚きました。

 

まず、私が若い。

15年も前ですから、私もアラフォーで、まだまだ若かったのです。

仕事こそしていませんでしたが、娘が幼稚園にいる間にジムに行ったりママ達とランチをしたり、幼稚園が終わるとピアノやプールなどのお稽古事に連れて行ったりお友達を家に呼んだり。

よく動いていました。やっぱり元気だったんですね。

 

今も元気だと思っているけど、やはりそれなりに年を取っているのだと実感しました。

 

そしてランチが多い。近場のそんなにお洒落する必要もない庶民的お手軽ランチばかりですが。幼稚園ママ=ランチする人々か?まあ昼間数時間で仕事ができるわけでもなく、ランチするしかなかったのかも。

 

でもよくあの複雑な構造のママ友たちと平気な顔で付き合っていたなあ。今だったら無理です(*_*)。それによくお金が続いたもんだ。

 

息子は小学3年生。

6年間で一番良い先生が担任だった年です。私の中では目立つことが嫌いな大人しい息子なのですが、この頃はクラス委員をやったり、友達を家に連れて来たり児童館で遊んだり、けっこう活発に過ごしていて意外でした。

目立つのが嫌いなのは中学に入ってからのことでした。覚えてないものだ。

 

塾のことも書かれていて、そうそう、塾に通わせ始めたのもこの年だったと思い出しました。。

近所の規模の小さい塾で(Eゼミナール)、1クラス5人くらいで、先生が何かの都合で来ないときは事務員が教えていたという大丈夫か?な塾でした。

私は息子に中学受験をさせるかさせないか、かなり悩んでいたようです。

でも息子はその5人のクラスでいつも1番だったこともあり、彼の方が受験に積極的でした。井の中の蛙というヤツです(笑)

てっきり私が息子を受験に引っ張っていったと思っていたので、これは意外でした。

その後受験すると決めたので、その塾は辞めて7クラスもある大所帯のN能研に移り、息子は初めて現実の厳しさを知ることになります。

 

学校も翌年にはクラス担任が新任の先生となり、新任なのにやる気のないトホホな先生の元、クラスは荒れ始め、その影響は5年生になっても6年生になっても続きました。担任の責任は重い。

 

娘は今では見る影もありませんがとても良い子でした。年長さんから中1までが良い子の時期で、中二病にかかって以来、今の娘になりました(-_-;)

 

夫は外資系企業でブイブイいわせていた頃です。六本木や銀座でやりたい放題やっていた模様です。平日はほぼ午前様で晩ごはんを家ではほとんど食べていません。

銀座のクラブの女の子たちにモテたい一心で、ジムに通って筋肉ムキムキになったり、高そうな服を買いまくったり。。。

 

夫のことはあまり日記には書かれていませんが、おおよそ私の記憶通りでした。

 

子どもたちもまだ小さかったので、週末には必ず出かけていました。キャンプもやっていて、いろんなキャンプ場に行きましたね。懐かしいです。

外食も多くて、全般的に夫に合わせてけっこう贅沢な暮らしをしていました。

それは夫の会社からの自主退職という名の解雇で終わりました。

 

思い込みってけっこうあるのですね。それに後で読み返してこんなに面白いのならもっと続けていればよかったと思います。特に子どもたち関しては、どんどん記憶があやふやになっていくので、こういう記録が宝物になるということがわかりました。

 

使っていた3年日記、まだ真っ白なページがたくさん残っているので、もう一度トライしてみようかなと思います。

もう子どもたちもいないので、大して面白くはないかもしれませんが。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 
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