死んでいるアカウント、生きているアカウント
こんにちは。
「推し」っていう言い方、いつから広く使われるようになったのでしょう。「推し」=ファン、おたく、みたいな感じに理解していますがそれで合ってますか?
「沼」とかも使いますね。沼民とか。
私は今人生3度目の沼にハマっていますが、1度目の沼はそれほどではなかったものの(テレビで見られる人だったので)、2度目の沼では相当な金額のお金を注ぎ込んでしまいました。あの金があったら今頃。。。と思わずにはいられません(泣)
2度目の沼の人はテレビなどでお手軽に見られる人でもなかったので、現地に行くしかありませんでした。いわゆる追っかけですね。
それでも私はおとなしい方で、海外遠征はしませんでした。
真の追っかけの凄まじさを知って恐ろしくなったりもしました。それで少し冷静になり、徐々に熱も冷めていきました。
で今、また私は沼の住民になっています。今回の人はテレビではほぼお目にかかれません。ライブに行くしかない。ライブ会場も小規模な所なのであっという間にソールドアウトです。となると、やはり、行けそうな地方のライブに足を延ばすことになります。また追っかけです。
往復の交通費や宿泊費などを入れるといくらライブ代がお手ごろ価格でも結局かなりな金額になります。
パートで貯めたお金がまた飛んでいく。。。
でも今回はそこまで追っかけないかもしれません。端から見ると追っかけは痛い、というのもわかったので、わりと冷静です。
で、推しの情報をかき集めるのに便利なのはやはりTwitterです。一時に比べるとTwitterも落ち着いて来ている感じですが、世間的にマイナーな人のファンが実際に周囲にいることはほぼなく、ネットで見つけるのが手っ取り早いのです。そんなとき、Twitterは本当に便利です。
自分と同じ推しの人をフォローしていくだけ。自分のプロフィールに○○さんのファンですと書いておけば、優しい人はすぐにフォローバックしてくれます。
ただ今回の人はやはりマイナーな人なので、フォローする人もそんなに見つかりません。見つけてももう全然呟いてなかったりして。なのでかなりこじんまりした世界になっています。
このこじんまりした世界がけっこう居心地がいいのです。以前のアカウントは、最初の1年こそフォロワーさん達とおはよーと挨拶したり世間話をしたり夫の愚痴を言ったり、まるで井戸端会議のような気易さで使っていましたが、ファンの人数が多く、Twitterをしていない人も覗いていて、それが2ちゃんねるに飛び火して悪口を書かれるフォロワーさんが出てきたりして、だんだんプライベートなことは呟けなくなりました。
今ではそのアカウントのタイムラインで呟いているのは10人足らずの常連さんだけです。リツイートのみの人や、もう全く呟かない人、おそらくアカウントは残しているものの全く見ていない人なども多くて、お前はもう死んでいる状態のアカウントになってしまいました。
私も時々は覗きますが、そもそももうファンでもないので、ツイートの内容にも興味がないのです。
なので、Twitterって、もう時代遅れなのかなあなどと思っていました。
が、今回また別のアカウントを作って、生きているアカウントのみをフォローしてみると、まだまだプライベートな事をツイートしている人がけっこういるのです。
なんだか懐かしい気分になりました。
フォロワーさんも数十人しかいないので、私も気楽に呟いています。さすがにもう夫の愚痴や子育ての悩みなどはプライベート過ぎて呟きませんが(笑)、ブログに書くほどでもない日常の出来事を呟いています。
私のようなコミュ障にはTwitterが合っているようです。Twitter上でもコミュ障ですが、居心地は悪くありません。
私の印象では、Twitterでよく呟く人は承認欲求が強めでやや歪んだ性格の人が多いかな。(トランプ大統領は知りません(笑))素直でないんです。だからこそ面白いことを呟いてくれるのです。
リツイートによって思わぬ情報に触れることもできます。もちろん、鵜呑みにしないのが大前提ですが。
読んでいただいてありがとうございました。