今日も一人でお昼ごはん

コミュ障・人見知りで友達のいないぼっちおばさん専業主婦のひとりごとです。

懺悔の時間( ;∀;)



 
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こんにちは。

 

着付け教室に7月から通いだして今までに60万も使ってしまいました。

ごめんなさい。

4か月で60万・・・やはり使いすぎでしょう。

もちろん、家のお金やへそくりじゃないですよ、私の貯金から出しています。

でも夫に知れたらヤバいなあ(;^ω^)

いくら自分のお金とはいえ、着物です、なくても全然困らないものです。

無駄遣い決定です。

 

着付け教室に通ったことのある知人には、「絶対買っちゃうわよ、欲しくなるんだから。でもたぶん着なくなるから買ったらダメよ」と、釘をさされていたんですけどね。

着物でお出かけ、となると、いろいろ足りないものが多くて、揃えたくなっちゃうんですよね。

 

60万の内訳は、

袋帯2本(それぞれ10万)、草履2足、バッグ2個、ショール2枚、

塵除けコート(10万)、母の着物の仕立て直し3枚(19,000~120,000)

でございます。

着物の値段としては、決してお高いものを買いそろえているわけではないのですが、洋服として考えると、高いよなあ。。。

 

最近は洗える着物とか、びっくりするくらい安いものも出回っているのですが、目が肥えてくるとやはりいいものはそれなりのお値段がつくこともわかってきます。(着物に限ったことではないですが)

安物を買っても大事に扱わないこともわかってきます。

 

それと、これは着物業界に限ったことですが、需要の減少に伴って職人さんもどんどん減ってきていて、質のいい商品も出回らなくなってきています(欲しくても手に入らない)。

今の着物より昔の着物の方が質がいいので、おばあさんやお母さんの着物を仕立て直して着ることになり、1枚の着物が何代にもわたって着られることにもなります。

そう考えると、着物って無駄がなくて、物を大事にする、日本人の文化を体現したものなのだと納得できます。

イマココ 私が着物を理解してる地点。

 

私も今のところ、着物は新調していません。

母が嫁入り道具に持たせてくれた何枚かの着物と、母が持っていた着物を何枚か仕立て直せばもう十分かなって思っています。

ちょっと流行遅れな雰囲気はありますが、良い品なのはど素人の私にもわかるので。

流行よりも質ですね。

大事に扱って、娘に残してやりたいと思っています。

 

と、長い言い訳に付き合ってくださってありがとうございました。

あと、名古屋帯があればいいんだけど~(笑)

 

 

 

 

 

 

今どきの子の勉強法


 
 
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こんにちは。

昨晩のことです。

娘が、志望大学の過去問をやってみたけど難しすぎてさっぱりわからないと言って、私のところにやってきました。

英文和訳の問題だったのですが、たしかに、見たことのない単語もあって難しそうでした。

とりあえずわからない単語を辞書で調べてみたら?と娘に言ったら、部屋に行ったきり戻って来ません。

何をしているのかと思ったら、辞書を探していたのです。

え?辞書、毎日使ってるよね?なくなるわけないやん。

よくよく聞いてみると、日ごろ、辞書は使っていないのでどこに行ったかわからないと。

知らない単語があったら「試験によく出る英単語」などの単語集で調べていたそうです。

 辞書って言っても電子辞書ですよ。紙の辞書に比べて目に入る情報量が圧倒的に少ないヤツです。

 

まあ、そんな子どもの勉強法に今頃気が付く親もどうなん!って思いますけどね。。。(;・∀・)

 

もう、紙の辞書なんて20世紀の遺物になりつつあるのでしょうか。

 

私はニューヨークに滞在していたころも、NEWYORK TIMES紙を、辞書を片手に一生懸命読んでいました(真面目か!(笑)

あれから何十年たった今でも、英文解釈では息子にも娘にも負けていません。

やはり、紙の辞書を引き引き、地道に勉強してきたからだと思います。

同じ単語でもいろんな意味や用法があるので、何度も何度も引いた覚えがあります。辞書も手垢で黒くなっていました。

若いころに電子辞書がなくて良かったと本気で思っている母です。

 

読んでいただいてありがとうございます。

 

 

 

 

事なかれ主義


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こんにちは。

 

黒岩市の写真コンテストの話、大事になってしまいましたね。

これって、やはり黒岩市側の事なかれ主義が根底にあったのではと思います。

主催者なのに責任を取りたくない、批判されたくないという後ろ向きな無責任さがこういうみっともない結果を引き起こしたのではないかと。

批判されたらとりあえず謝罪する、でも言い訳もする、逃げる、一刻も早く周囲が忘れてくれることを願う、とにかく時が過ぎるのを待つ。。。そんな感じに見えます。

事なかれ主義がいかに害悪をもたらすものであるか、改めて思いました。

私自身も子育てに関して事なかれ主義なところがあったんじゃないかと、ちょっと反省しています。

やはり何事も、正面から真面目に真摯に取り組む以外ないのでしょうね。

 

読んでいただいてありがとうございます。

 

ダメな自分を許してあげる



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こんにちは。

人によって違うのかもしれませんが、私は50歳を過ぎて、だんだん自分にも他人にもゆるゆるになってきて、なにかしでかしても「まあ、いいか~」と、気にならなくなってきました。

コミュニケーション能力のなさで失敗したことは多々あり、以前だったら「どうしてあんなことしてしまったんだろう」と、後から何度も何度も自分を責めて追い込んで辛い気持ちになっていました。

人は人、自分は自分で比べてもしょうがないし、他人が自分に何も期待していないのと同じように、自分も自分が理想の姿にならないからといって悔しがる必要はないのです。

ダメな自分をそのまま受け入れて、許してあげる。

それに、コミュニケーション能力のある人=人格的に優れている、とは限らないわけで。

いわゆる「おばさん化」して、厚かましくなって、人の目が気にならなくなってきたんでしょうかね~(笑)まあそれでもいいけど。

 

読んでいただいてありがごうございます。

怒鳴られるということ


 


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こんばんは。

テレビを見ながら少し眠くなってウトウトしていたのですが、突然テレビから怒鳴り声が聞こえて、夫に怒鳴られたのかとビクッとしてすっかり目が覚めました。

渡辺直美さんとブラザートムさんの出ているメルカリのCMで、別に怖くもなんともないCMなのですが、それが夫の声に聞こえたのです。

 

誰かが怒鳴っている声を聞くのが苦手です。

自分が夫に怒鳴られているような気分になって、心臓が縮み上がってしまうのです。

何回怒鳴られても、慣れることはありません。

怒鳴られるって本当に嫌です。

成績表のない小学校


 
 
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こんにちは。

小学校に成績表(通信簿)がなかった、という人、あまりいませんよね。

私が通っていた小学校は、4年生の時に成績表がなくなりました。

あいまいな記憶ですが、3年生あたりからなにやら怪しい雰囲気になってきて、4年生では学年末に自分で自分を評価する査定表みたいなものを書かされて、それで終わりでした。

テストもありませんでした。

テストいつやるのかな~と思いつつ遊び呆けていたら、終わってしまったんです。

なので、私の小学校4年生の思い出は、遊んで遊んで遊びまくったことしかありません。

ごく普通の公立の小学校で、なんで成績表がなくなってしまったのか、まだ子どもだった私にはよくわからなかったのですが、後で母に聞いた話では、私が住んでいた地域は共産党がめっぽう強く、平等主義が行き過ぎてそうなってしまったのではないかと。

そういえば、うちは党員でもないのに赤旗が配達されていました。なんか、義理で取っていたそうです。

高校入試に関しても、学校間の格差をなくすためか地域の高校に振り分けられるようになって、受けたい高校を受けることが出来なくなってしまったようです。

 

でも、成績表もない、テストもない学校って、子どもにとってはまさに天国です🙌

今までの人生で最も幸せだった時はいつかと聞かれたら、小学4年の時と答えます(笑)

学校の裏は低い山になっていたのですが(私が住んでいたのは台地を切り開いた町だったので、山みたいな場所がたくさんありました)、そこに基地を作って毎日放課後になると探検したり、男子と「戦争ごっこ」をしたり、学校内でなにか工事をしていたのか、土管や廃材の板が校庭に無造作に置いてあったのでそれを利用してジャングルジムを板で囲ってなかに滑り台を作ったり、ぶら下がりシーソーの下に土管を持ってきて足で転がして遊んだり、教室で犬を飼ったり、もうやりたい放題の無法地帯でした。

不思議なことに、何をやっても怒られなかったのです。

今だったら校庭に工事機材をそのまま置くなんて考えられないですが、大らかな時代だったんですね~。

教室の横のテラスにはいつの間にか犬小屋が設置され、どこかからやって来た雑種の子犬はすくすく育ち、昼休みには裏山を散歩し、長期の休みには飼育責任者であったO君が家に引き取っていました。

しかし、そのパラダイス小学生生活は突然終わってしましました。隣の県に家を建てたので我が家は引っ越すことになったのです。

成績表があってもなくても、私はその町が大好きだったので、そこから離れるのは辛かったです。

私の友達できない続かない不幸な時代の始まりでした。

それはともかく、4年生の1年間、ほぼ勉強しなかったので、転校してからは大変でした。隣の県は、なんと、大変教育熱心な土地柄だったのです。

しかも、元の小学校の担任が調子のいいヤツで、私の成績を思いっきり良くつけたものですから、転校先の先生方は、ものすごい出来の良い子が来たと大歓迎しました(~_~;)

文系の科目はなんとか追いつきましたが、算数は「割合」の所で躓いてしまいました。やはり、4年の時にきっちりやらなかったツケが回ってきたのだと後で思いました。

 

その小学校がどうなったかは、何年か後に、友達から聞きました。

めちゃくちゃになってしまったそうです。授業中に勝手に教室を出入りしたり、学校からも出て行ったり、今で言う学級崩壊状態になって、荒れに荒れ、収拾がつかなくなり、元に戻ったそうです。

引越でその小学校を早々に去った私は難を逃れたので良かったのかもしれません。

でも、もし戻れるならいつに戻りたいかと聞かれたら、やっぱり4年生の時かな。

遊びほうける私たちを見て、先生が「おまえらは猿か!」と言ったのが忘れられません。

そう言っていた先生も、私たち生徒も、大笑いして、本当に楽しかったのです。

あのときのクラスの友達は今どうしているのかしら。この思い出は共有できるかなあ。

 

読んでいただいてありがとうございました_(._.)_

 

 

 

 

東京の関西人

 


 
 
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こんにちは。

結婚するまでは関西在住だったのですが、気が付いたら東京(およびその周辺)に住んでいる年数の方が長くなってしまいました。

夫も関西出身なので家では関西弁をしゃべっていますが、子どもたちはいわゆる「標準語」を使うので、関西訛りもだんだん薄くなりつつあります。

「あめちゃん食べる?」が「あめ食べる?」になり、マクドナルドも「マクド」ではなく「マック」になってしまい、関西在住の姪に「マックちゃうで、マクドやで」と注意されました。

 

そしてこちらに来て分かったのですが、関西出身者って意外と少ないのです。

東京って地方出身者の集まりだと思っていたのですが、実は地元の人が多いんですね。

2世帯同居のおうちも多いです。

で、これもこちらに来てしばらくしてからわかったのですが、関西人は「厚かましくて下品」だと思っている人が少なからずいるのです。

なので、関西出身だということを言ってもいいものかどうか迷うときは、「関西の人ってちょっと厚かましいと思わない?」などと聞いてみて、相手の反応を見ます。

それで相手が「実は関西人が苦手」とか「嫌い」などと言い出したら、私は自分が関西出身だということは言わないでおこう、と密かに決心するのです。

 

。。。特にオチはありません(;^ω^)

読んでいただいてありがとうございました。

母の三回忌

こんにちは。いつも来ていただいてありがとうございます。
先日は、新幹線に乗車中に記事を書いて、タイトルだけを公開してしまい、皆様にご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げますm(_ _)m

先日母の三回忌を終えて、法事がひと段落つきました。父は母の亡くなる1年前に亡くなっていて、バタバタと法事が続いていました。
空き家になった実家も他人の手に渡り、もともと転勤族でふわふわしていた私もいよいよ根無し草になったような気分です。
うちは父の勤務の関係で、両親とも故郷を離れてしまっているので、実家のある県には親戚もなく、付き合いのある親戚は兄一家だけになりました。
親戚付き合いの面倒くささは母がよく愚痴っていたので、さっぱりすっきりしていいのかなとも思いますが、ちょっと寂しいかなあ。

母は父が死んで1年も経たない内に亡くなったので、お葬式のときにはお坊さんに「よほど仲が良かったんでっしゃろなあ。」とか言われてしまいますが、夫婦仲はいたって悪かったので苦笑するしかありませんでした(笑)

父が亡くなった時はそうでもなかったのですが、母も亡くなってしまうと、昔のことをよくふっと思い出します。
子どもの頃の記憶は、年を取るにつれて薄ぼんやりしてきて、まさにセピア色になっています。

夫婦仲が良くなかったので家庭の雰囲気も悪かったはずなのですが、なぜかほんわかと幸せな気分になるのです。
おそらく、父母に大事にされていたという確信があるからでしょう。
父は毎晩私が寝る前にお布団でお話をしてくれましたし(父は話上手でした)、母はいつも優しくて、手芸上手だったので、スーツもコートも私の服はほぼ母の手作りで、結婚してからもしばらく作ってくれていました。
父が音楽好きだったのもあって、あの頃はとんでもなく高価だったピアノも買ってくれました。ピアニストにもピアノの先生にもなれなくて申し訳ない・・・(^^;)

で、私はそれに見合う親孝行をしたのかというと、否!です。
結婚して遠くに(ついに海外にも)行ってしまったのでむしろ親不孝でしょう。

ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと、もっと後悔してもいいようなものですが、不思議と私は親に悪いと思っていません。
厚かましい娘です。
私も子供を産んで、親になって、親の気持ちが少しはわかるようになりました。
具体的な親孝行をしてくれたらもちろん嬉しいけど、独り立ちしてくれたらもう十分だなあ。
まあできれば結婚して家庭を持って孫の顔とか見せてほしいですけど(^^;)

嫁入り道具として持ってきた着物もようやく着ることができるようになりました。
母に悪いなあという気持ちもなくなって、楽になってきました。
母の着物も、寸法直しができるものは直して着るつもりです。

寝る前のお菓子が止められませんヽ(゜▽、゜)ノ

こんにちは。

寝る前に大量のお菓子を食べてます。
広義の摂食障害なのかな。
お酒飲まなきゃ寝られないっていうのと同じでしょうか。
食べ過ぎ防止のため、小袋に分けられたのを買うようにしていますが、その小袋を一種類ずつ、計6、7袋食べるので、小袋の意味がありません( ̄∇ ̄)
恐ろしいのでカロリー計算はしていません。

この悪しき習慣が始まったのは、一人目を生んで、おっぱいが終わった頃かな~。
子どもの睡眠が落ち着いて、夜しっかり寝てくれるようになってからです。
子どもを寝かしつけたらさあ私の時間!ってことになって、お菓子とコーヒーで夜更かしするようになったのです。
最初はお菓子じゃなくて、トーストにマーガリンをべったり塗りつけたやつだったなあ。インスタントラーメンとか(^^;)
それはちょっと良くないんじゃない?って周りに言われてお菓子に変えたんだけど、変えた意味ないですね(笑)

寝る前に食べると当然お腹周りにいらないお肉がいっぱいつきますし、お砂糖の取り過ぎは認知症につながるとか聞いたことありますが、理性が弱いのと、これが楽しみで一日頑張ってるのでなかなか止められません。

ちなみに子どもたちは3食しっかり食べるので、間食はほとんどしません。
家でお菓子を食べるのはもっぱら私と夫です。
子どもたちの方が余程理性的です。
親より理性的に育ってくれてありがとう。
自分に甘いお母さんですみません。

くだらないお話、読んでいただいてありがとうございました。

スカルラッティとテキトーな先生

 


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こんにちは。

 

一昨日は楽器のレッスンでした。

1曲仕上げたところで、先生が、「今年のコンクールは出ますか?」と、だしぬけに聞いてきたので、「いえ、私にはまだまだ無理です(てか、出る気なし)」と、断ったのですが、もちろん先生はそんな返事くらいじゃひるまないので出る方向にものすごくプッシュしてきました。(^^;)

とりあえず、発表会の出来次第で出るか出ないか決める、というところで納得してもらえたのでホッとしました。

 

次は曲選びなのですが、先生の中ではもう決まっていたようで(;^ω^)

スカルラッティにしましょう」

しかし私はスカルラッティ(イタリアの作曲家)を全く知らなかったので、どの曲か聞いてみると、

「ほらあの、〇〇先生もCDで演奏されてた、Dマイナーの曲よ。こんな感じの曲で・・・」

と、右手だけでピラピラと弾いていくのですが、ちゃんと聞いたことがない私にはさっぱりわかりません。

「有名な曲だから。スカルラッティ、Dマイナーで探したら見つかるわよ」

帰宅してさっそくググってみたところ、スカルラッティは、ソナタをなんと555曲も作曲していてΣ(・ω・ノ)ノ!、Dマイナーの曲もいっぱいあることを初めて知り、途方にくれました(笑)

これでは楽譜も探せないので先生にメールで聞くしかない・・・

しかしメールしても先生お忙しいし、この通りいい加減だから返事が返ってくるかどうか怪しい・・・

それどころか私にその曲を指定したことも、次のレッスンまで覚えているかどうかも怪しい・・・

 

というわけで、いまだに次の発表会で弾く曲を探し当てられずにいる私です。

103万円の壁


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こんにちは。

 

配偶者控除の見直しが見送りになりましたね。

選挙があるので先送りにしたんでしょうって、みんな言ってますね(笑)

選挙後にまたすぐ戻ってくる~?

 

配偶者控除については、興味のある人、自分に当てはまる人も多いんじゃないでしょうか。

私も、数か月前に仕事を辞めた理由の一つがこの配偶者控除見直し問題でした。

週三日、普通に働いていれば103万なんてすぐ超えてしまいます。

夫にも、税金払えってこっちに来るから、とにかく103万は超えるなと言われました。

そのためには、たとえば勤務時間9時5時を9時4時にする、という方法もありましたが、減った時間を補う人がいないので、結局他の人に迷惑をかけることになります。事務って、その仕事の性質上、あまり細切れに出入りするとかえって正社員の人や他のパートさんに迷惑かける結果になります。

 

そもそも、女性の社会進出を促進するために配偶者控除を廃止するって、おかしな話です。ほらほら、もう逃げ場はないよ、もっと働きな、って脅されているみたいでとても不愉快です。

女性に働いてほしいのなら、保育所の数を増やすなどの子育て環境を整えることが一番でしょう。

子どもを預けるところがないからやむなく専業主婦をやってる女性は多いはずです。

 

私も、子どもを預けて働きたかったのですが、私のような転勤族の奥さんが保育所に子どもを入園させるというのは優先順位の低さもあってなかなか難しく、なかば諦めていました。

夫の帰りは毎日午前様で土日も出勤のことが多く、実家も遠かったので病院や美容院もあまり行けなかったです。

病院に行くなどのちょっとした用事でも子供を見てくれるところがあったらずいぶん子育ても楽だったろうな~。

 

で、私みたいな人は、子供が小学校に上がって、ようやく職探しを始めるのですが、子どもが学校に行っている間しか働けないので、結局パートさんになっちゃうんですよね。

そこで初めて配偶者控除と出会うわけです。誰だって損はしたくないですから、どうしても控除内を意識して働かざるを得なくなる。

公平な税負担という見地からは、やはり不公平だと言われてもしょうがないですが。

でも配偶者控除を目指してやってきたわけではなく、たどり着いた場所が配偶者控除という囲いの中だったのです。

 

働こうと思ったときにすぐに子供を保育園に入れることが出来ていたら、今頃は正社員で税金もばっちり納めていたのかな。まあ、それは夫次第だったかもしれないですが。

 

 

肌年齢・骨年齢・血管年齢

 


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こんにちは。

近所のカルチャーセンターに、新しい教室がオープンして、その記念に〇〇年齢無料測定キャンペーンをやっていたので行ってきました。一人で行くのに慣れているので、どこでもホイホイ行ってしまう私です(笑)

 

肌年齢49歳、骨年齢39歳、血管年齢44歳でした。

一応全てほんとの年齢よりは下だけど、なんだか微妙だな~(笑)

骨が若いのだけは長年ジムに通っているおかげ?いや、よくわからん…

 

勧められたので、ついでに若返りヨガみたいなのの体験もやってきました。

私はガシガシ動いてドバドバ汗をかく系の運動が好きなので、正直ヨガ系は苦手です。

でも、こういう静かな運動の方が、本当は体にいいことも知っています。

 

そしていつも思うのですが、こういう、心身調整系のプログラムの先生って、おしなべて若々しくて美しいのです。

今日の先生も、おそらく年齢は私とそんなに変わらないと思うのですが、無駄なお肉がついてなくて、かといって筋肉ムキムキでもなく、姿勢も良くてスタイルが良く、お肌も綺麗でした。

まあ、こういう職業は自分自身が商売道具ですから、いつも美しく保っていないといけないのですけど。

 

でも彼女たちは真の健康オタク美容オタクなんだろうなあと思います。

それが商売になって、自分も綺麗でいられるんですから、いいことづくめだな~。

普通は体や肌に良いってわかっていても、なかなか実践できないし、続けることも難しい。

私なんて寝る前にお菓子食べまくりますし、夜更かしが好きでだいたい寝るのは1時~2時で、美容のために一番寝ないといけない10時~2時はたいてい起きています。

せめてもの罪滅ぼしに、ジムで運動しているわけで。

良い習慣も悪い習慣も、じわじわと自分の体に影響を及ぼしてくるのでしょう。

 

で、そのお教室は申込みしませんでした。良さげだったけど続かなさそうだったので・・・(^^;)

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 

日本の主婦は大変


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こんにちは。

 

駐在員妻としてニューヨークに5年半滞在しました。

たったの5年半なのであまり偉そうなことは言えませんが、日本の主婦業はやはり大変です。

要求されるレベルが非常に高いからです。

 

掃除と洗濯に関しては、日本が温帯モンスーン気候で(最近は亜熱帯のようですが)、常に湿気&カビと戦っていかなくてはならない、というのが負荷をかけていると思うのです。

ロンドンにも1年住んだことがあるのですが、ロンドンにしてもニューヨークにしてもカラッと乾燥した日が多く、ほっておいたらいろんな物にいつの間にかカビが生えていた、という事態はあまり経験しなくて済みます。ほぼすべての物が、ほったらかしでも大丈夫なのです。

日本だと、お天気が良い日には、お布団干さなくちゃ、大物のお洗濯しなくちゃ、靴箱のお掃除をしなきゃ、衣替えしなきゃ、ということになって、主婦は仕事が増えて大変です。

ニューヨークは、たいていのアパートには個々の部屋に洗濯機がありません。洗濯するときはアパートの中にある(ないアパートもありますが)コインランドリーへ25セント玉を握りしめて向かいます。

面倒なのとお金がもったいないのとで、洗濯の回数も少なくなります。子供が生まれる前は、洗濯は週1回しかしませんでした。

洗ったら即乾燥機へGO!なので、パンパン!とたたいてしわを取ってハンガーにかけるなどの、干す、という作業はなくなります。

乾燥機からカラカラに乾いたくしゃくしゃの洗濯物を取り出して、ホコリまみれのテーブルで畳んで洗濯は終わりです。周りは黒人やヒスパニックの家政婦さんたちが多かったかな。

 

食事の準備も簡単です。アメリカのシチュエイションコメディーとかだと、晩御飯はパスタに瓶入りのトマトソースをそのままドバっとかけて、サラダを付けて終わり、というシーンをよく見ました。

実際にそんなひどい食事なのかどうかは知りませんが、息子が通っていた現地の幼稚園のお子さんたちのお弁当は、もうびっくりなレベルでした。

紙袋の中にリンゴとピーナツバターサンド、というのは有名な話ですが、中には、登園途中にピザ(具がないただのチーズピザ)を買って来て、お昼に食べさせて、とそのまま先生に渡している親もいました。いくら温めなおしても、それは不味かろう(;^ω^)

容器の中にオレンジ色のどろどろのチーズとマカロニが入っていて、それを温めて食べるというのもありましたし(マカロニ&チーズという物です)、シリアルだけとか、朝ごはん用に通りで売っているベーグルにバナナとか、そんなんばっかりでした。

アングロサクソン系の人たちは、食べることにあまり執着がないのでしょうね。

 

翻って日本ですが、晩御飯は一汁三菜、和え物煮物焼き物揚げ物、味が被らないように気を配り、栄養バランスも考えて、だいたい2時間ほどかけて毎日作っているのではないでしょうか。

毎日毎日ほぼ365日、料理番組やレシピ本やCOOKPADを見て、家族が喜びなおかつ栄養バランスも良い献立を考えているのです。

しかも和食洋食イタリアン中華と、日本の主婦は何でも一通り作れますよね。

というか、それくらいは出来るだろうと、世の中から当然のように思われているのです。ものすごい高いレベルの仕事を要求されているわけです。

これは大変なことですよ。

 

ニューヨークから3歳の息子と生まれて半年の娘をかかえて帰国し、夫の会社の社宅の一室でトランクルームから運び込まれた膨大な荷物と船便でニューヨークから届いた荷物とに囲まれ、茫然としていた自分を思い出します( ;∀;)

その私に追い打ちをかけたのが、幼稚園でした。

家の近くの幼稚園にすんなりと入園が決まり、その手続きのために先生とお話をしていたのですが、園の規則など事細かに書かれたプリントをどっさり渡され、そこで先生が何気なく、

「お子さんの持ち物は全部お母様の手作りでお願いします」

とおっしゃったのです。Σ(・ω・ノ)ノ!

頭が真っ白になりましたがひきつった笑顔でおいとまして、帰宅してプリントを見て再び茫然となってしまいました(笑)

トートバッグに上履き入れ、体操服入れ、コップ入れにお弁当箱入れ・・・10種類くらいあったでしょうか。

一応嫁入り道具のミシンはあったので、手芸屋さんに何度も通って材料を購入し、作り方の載っている本を見ながら下の子をあやしつつの作業が続きました。

スモックには手作りの新幹線のアップリケも付けました(息子はすでに立派な鉄オタでした)あ、そういえば娘の幼稚園はスモック自体が手作りだったっけ(;´∀`)

あの頃は私も若かった。実家も遠く、頼る人もいない中、日本のお母さん大変すぎるとブツブツ言いながら頑張りました。(社宅には親切にしてくれた奥さんもいましたが)

でも、別に手作りでなくてもいいんじゃないかな。

作ってる時間を子供と遊ぶ時間に回すほうがいいんじゃないの?

今はもうそんな習しはなくなってるのかしら。

 

私はまだそのころ専業主婦でしたからなんとかなりましたが、これがお仕事もしているママだと、この膨大で高レベルな家事をどうやって片づけているのか、考えただけで気が遠くなります。

日本の女性の睡眠時間が世界一短いというのも頷けます。

特に、パート兼業の主婦は、「家事に支障のない範囲で働く」ことを前提にしているので、少々きつくても家事の手を抜くことは許されないのです。

アメリカ並みの家事で済むのなら楽なのにと思います。それに、アメリカの男性はよく家の中で働きますしね。

 

長々と読んでいただいてありがとうございました。

娘と息子(一般論的な)

 


 
 
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こんにちは。

お腹の調子がずっと悪く、そんな時に限ってキャンセルできない用事が続き、ブログの更新ができませんでした。

なんなんでしょうかねえ、お腹がシクシク痛んで、でもお医者さんに行くほどのものでもない。なかなか良くならないのは歳のせいでしょうか(;´・ω・)

 

そうそう、タイトルの娘と息子の話ですが、なんで親は娘には本音を言って、息子には言わないのか?という話です。

そうではない兄妹(姉弟)もいますが、私の周りに限るとそういうケースは多いです。

母親と娘の関係で言うと、娘が反抗期も終わって落ち着きだすと、母親は、娘がまだまだ子供でも、一人前の話し相手として(一方的に)扱い始めます。

たいていは旦那さんの悪口とか、嫁がいたら嫁の悪口とか、近所の噂話とかを娘に聞かせるのです。

私は母からてんこ盛りの愚痴を聞いてきました。

結婚して家を出てから、母との電話の内容は、ほとんど母の愚痴でした。私の話はほとんど差し挟む余地がなく、ただひたすら聞いておりました。

遠く離れているから、愚痴を聞くのも親孝行だと思って聞いておりました。

父とはそれほど頻繁に話はしていませんでしたが、やはり愚痴や悩みを聞かされることが多かったです。

びっくりしてしばらく固まってしまうような家族の秘密なども父から聞かされ、なんでそれを私に言う?( ;∀;)と思いつつ、それはお墓まで持って行こうと心に決めました。

そのびっくりな事実は息子(私の兄です)には話したの?と父に聞いてみると、案の定、話していない、とのことでした。

息子には心配をかけたくないんでしょう。親なりに、息子には気をつかって、見栄を張ってるのかな。

結婚して嫁さんがいると、なおさら言えなくなってしまうんでしょうね。

老後は実の娘に看てもらいたいという親は多いと聞きますし。

両親をほぼ同時に施設の別々の部屋に入居させたのも、母からある事実を聞かされて、それはもう二人で生活するのは無理だろうと、兄にその事実を伝えて、それで決まったことなのです。母も、兄には言いにくかったのでしょう。

 

夫も姉弟の2人兄妹ですが、やはりお義母さんは夫には知らせていない事がいくつかあったようです。

もちろんお姉さんは聞いてたのだと思いますが、嫁の私も、「これは息子(私の夫)には言ってないんだけど」、という前置きの話を聞いています。

嫁は知ってるのに息子は知らん、という、逆転現象が起こっていました。

やっぱりお義母さんも息子は大事で、あまり美しくない事実は知らないでいてほしいのでしょうね。

 

翻って、我が家も娘と息子がいますが、私からすると、やはり娘はいろいろと話し易いので、いらんことまでしゃべっているかもしれません。

息子は、愚痴など言ってもほとんど聞いていないし、あまり言うと軽蔑されそうなので話しづらいのは事実です。

 

息子はともかく、娘はもうちょっと大事に扱わねばと、しばし反省した次第です。

 

読んでいただいてありがとうございました(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

着付け教室に通うと着物を買う羽目になってしまうのか。


 
 
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こんにちは。いつも遊びに来ていただいてありがとうございます。

 

別に誰かに聞かれたわけではないのですが、タイトルを疑問文にしました(笑)

 

結論から言うと、着物は買うことになります。着付け教室は顧客開拓のためにレッスンを無料かせいぜい1コインでやっていて、生徒さんが着物を買わないと儲からないですから。キムタクも某大手無料着付け教室のCMに出てますよね。

そのセールスがしつこいかあっさりかの違いはあります。しつこいのが嫌で教室変えちゃう人もいます。

そもそも着付けを習う生徒さんて着物は全く持っていないか、持っていても嫁入り道具の年代物の流行遅れの品ばかりで、新しく着物を誂えないとやっていけない人が多いはず。

おまけに、そういう教室での販売会で扱われるのはお値段高めの良い品が多く、見てると欲しくなっちゃうんですよね~。

まあ、中には、箪笥二竿に入りきらないくらい着物を持っているセレブ奥様もいますが、そんな人は例外かな。

 

着物はやはりお金持ちの道楽って感じがぬぐえない。

リサイクルを生かすという手もありますが、着物がここまで廃れてくるとリサイクルする着物そのものが枯渇して、リサイクル市場もいずれ終わるのではと、某リサイクル着物屋さんのお店の人が言ってました。

私もいつまで続くかな。。。お金とモチベーション( ;∀;)