今日も一人でお昼ごはん

コミュ障・人見知りで友達のいないぼっちおばさん専業主婦のひとりごとです。

東京の関西人

 


 
 
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こんにちは。

結婚するまでは関西在住だったのですが、気が付いたら東京(およびその周辺)に住んでいる年数の方が長くなってしまいました。

夫も関西出身なので家では関西弁をしゃべっていますが、子どもたちはいわゆる「標準語」を使うので、関西訛りもだんだん薄くなりつつあります。

「あめちゃん食べる?」が「あめ食べる?」になり、マクドナルドも「マクド」ではなく「マック」になってしまい、関西在住の姪に「マックちゃうで、マクドやで」と注意されました。

 

そしてこちらに来て分かったのですが、関西出身者って意外と少ないのです。

東京って地方出身者の集まりだと思っていたのですが、実は地元の人が多いんですね。

2世帯同居のおうちも多いです。

で、これもこちらに来てしばらくしてからわかったのですが、関西人は「厚かましくて下品」だと思っている人が少なからずいるのです。

なので、関西出身だということを言ってもいいものかどうか迷うときは、「関西の人ってちょっと厚かましいと思わない?」などと聞いてみて、相手の反応を見ます。

それで相手が「実は関西人が苦手」とか「嫌い」などと言い出したら、私は自分が関西出身だということは言わないでおこう、と密かに決心するのです。

 

。。。特にオチはありません(;^ω^)

読んでいただいてありがとうございました。

母の三回忌

こんにちは。いつも来ていただいてありがとうございます。
先日は、新幹線に乗車中に記事を書いて、タイトルだけを公開してしまい、皆様にご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げますm(_ _)m

先日母の三回忌を終えて、法事がひと段落つきました。父は母の亡くなる1年前に亡くなっていて、バタバタと法事が続いていました。
空き家になった実家も他人の手に渡り、もともと転勤族でふわふわしていた私もいよいよ根無し草になったような気分です。
うちは父の勤務の関係で、両親とも故郷を離れてしまっているので、実家のある県には親戚もなく、付き合いのある親戚は兄一家だけになりました。
親戚付き合いの面倒くささは母がよく愚痴っていたので、さっぱりすっきりしていいのかなとも思いますが、ちょっと寂しいかなあ。

母は父が死んで1年も経たない内に亡くなったので、お葬式のときにはお坊さんに「よほど仲が良かったんでっしゃろなあ。」とか言われてしまいますが、夫婦仲はいたって悪かったので苦笑するしかありませんでした(笑)

父が亡くなった時はそうでもなかったのですが、母も亡くなってしまうと、昔のことをよくふっと思い出します。
子どもの頃の記憶は、年を取るにつれて薄ぼんやりしてきて、まさにセピア色になっています。

夫婦仲が良くなかったので家庭の雰囲気も悪かったはずなのですが、なぜかほんわかと幸せな気分になるのです。
おそらく、父母に大事にされていたという確信があるからでしょう。
父は毎晩私が寝る前にお布団でお話をしてくれましたし(父は話上手でした)、母はいつも優しくて、手芸上手だったので、スーツもコートも私の服はほぼ母の手作りで、結婚してからもしばらく作ってくれていました。
父が音楽好きだったのもあって、あの頃はとんでもなく高価だったピアノも買ってくれました。ピアニストにもピアノの先生にもなれなくて申し訳ない・・・(^^;)

で、私はそれに見合う親孝行をしたのかというと、否!です。
結婚して遠くに(ついに海外にも)行ってしまったのでむしろ親不孝でしょう。

ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと、もっと後悔してもいいようなものですが、不思議と私は親に悪いと思っていません。
厚かましい娘です。
私も子供を産んで、親になって、親の気持ちが少しはわかるようになりました。
具体的な親孝行をしてくれたらもちろん嬉しいけど、独り立ちしてくれたらもう十分だなあ。
まあできれば結婚して家庭を持って孫の顔とか見せてほしいですけど(^^;)

嫁入り道具として持ってきた着物もようやく着ることができるようになりました。
母に悪いなあという気持ちもなくなって、楽になってきました。
母の着物も、寸法直しができるものは直して着るつもりです。

寝る前のお菓子が止められませんヽ(゜▽、゜)ノ

こんにちは。

寝る前に大量のお菓子を食べてます。
広義の摂食障害なのかな。
お酒飲まなきゃ寝られないっていうのと同じでしょうか。
食べ過ぎ防止のため、小袋に分けられたのを買うようにしていますが、その小袋を一種類ずつ、計6、7袋食べるので、小袋の意味がありません( ̄∇ ̄)
恐ろしいのでカロリー計算はしていません。

この悪しき習慣が始まったのは、一人目を生んで、おっぱいが終わった頃かな~。
子どもの睡眠が落ち着いて、夜しっかり寝てくれるようになってからです。
子どもを寝かしつけたらさあ私の時間!ってことになって、お菓子とコーヒーで夜更かしするようになったのです。
最初はお菓子じゃなくて、トーストにマーガリンをべったり塗りつけたやつだったなあ。インスタントラーメンとか(^^;)
それはちょっと良くないんじゃない?って周りに言われてお菓子に変えたんだけど、変えた意味ないですね(笑)

寝る前に食べると当然お腹周りにいらないお肉がいっぱいつきますし、お砂糖の取り過ぎは認知症につながるとか聞いたことありますが、理性が弱いのと、これが楽しみで一日頑張ってるのでなかなか止められません。

ちなみに子どもたちは3食しっかり食べるので、間食はほとんどしません。
家でお菓子を食べるのはもっぱら私と夫です。
子どもたちの方が余程理性的です。
親より理性的に育ってくれてありがとう。
自分に甘いお母さんですみません。

くだらないお話、読んでいただいてありがとうございました。

スカルラッティとテキトーな先生

 


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こんにちは。

 

一昨日は楽器のレッスンでした。

1曲仕上げたところで、先生が、「今年のコンクールは出ますか?」と、だしぬけに聞いてきたので、「いえ、私にはまだまだ無理です(てか、出る気なし)」と、断ったのですが、もちろん先生はそんな返事くらいじゃひるまないので出る方向にものすごくプッシュしてきました。(^^;)

とりあえず、発表会の出来次第で出るか出ないか決める、というところで納得してもらえたのでホッとしました。

 

次は曲選びなのですが、先生の中ではもう決まっていたようで(;^ω^)

スカルラッティにしましょう」

しかし私はスカルラッティ(イタリアの作曲家)を全く知らなかったので、どの曲か聞いてみると、

「ほらあの、〇〇先生もCDで演奏されてた、Dマイナーの曲よ。こんな感じの曲で・・・」

と、右手だけでピラピラと弾いていくのですが、ちゃんと聞いたことがない私にはさっぱりわかりません。

「有名な曲だから。スカルラッティ、Dマイナーで探したら見つかるわよ」

帰宅してさっそくググってみたところ、スカルラッティは、ソナタをなんと555曲も作曲していてΣ(・ω・ノ)ノ!、Dマイナーの曲もいっぱいあることを初めて知り、途方にくれました(笑)

これでは楽譜も探せないので先生にメールで聞くしかない・・・

しかしメールしても先生お忙しいし、この通りいい加減だから返事が返ってくるかどうか怪しい・・・

それどころか私にその曲を指定したことも、次のレッスンまで覚えているかどうかも怪しい・・・

 

というわけで、いまだに次の発表会で弾く曲を探し当てられずにいる私です。

103万円の壁


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こんにちは。

 

配偶者控除の見直しが見送りになりましたね。

選挙があるので先送りにしたんでしょうって、みんな言ってますね(笑)

選挙後にまたすぐ戻ってくる~?

 

配偶者控除については、興味のある人、自分に当てはまる人も多いんじゃないでしょうか。

私も、数か月前に仕事を辞めた理由の一つがこの配偶者控除見直し問題でした。

週三日、普通に働いていれば103万なんてすぐ超えてしまいます。

夫にも、税金払えってこっちに来るから、とにかく103万は超えるなと言われました。

そのためには、たとえば勤務時間9時5時を9時4時にする、という方法もありましたが、減った時間を補う人がいないので、結局他の人に迷惑をかけることになります。事務って、その仕事の性質上、あまり細切れに出入りするとかえって正社員の人や他のパートさんに迷惑かける結果になります。

 

そもそも、女性の社会進出を促進するために配偶者控除を廃止するって、おかしな話です。ほらほら、もう逃げ場はないよ、もっと働きな、って脅されているみたいでとても不愉快です。

女性に働いてほしいのなら、保育所の数を増やすなどの子育て環境を整えることが一番でしょう。

子どもを預けるところがないからやむなく専業主婦をやってる女性は多いはずです。

 

私も、子どもを預けて働きたかったのですが、私のような転勤族の奥さんが保育所に子どもを入園させるというのは優先順位の低さもあってなかなか難しく、なかば諦めていました。

夫の帰りは毎日午前様で土日も出勤のことが多く、実家も遠かったので病院や美容院もあまり行けなかったです。

病院に行くなどのちょっとした用事でも子供を見てくれるところがあったらずいぶん子育ても楽だったろうな~。

 

で、私みたいな人は、子供が小学校に上がって、ようやく職探しを始めるのですが、子どもが学校に行っている間しか働けないので、結局パートさんになっちゃうんですよね。

そこで初めて配偶者控除と出会うわけです。誰だって損はしたくないですから、どうしても控除内を意識して働かざるを得なくなる。

公平な税負担という見地からは、やはり不公平だと言われてもしょうがないですが。

でも配偶者控除を目指してやってきたわけではなく、たどり着いた場所が配偶者控除という囲いの中だったのです。

 

働こうと思ったときにすぐに子供を保育園に入れることが出来ていたら、今頃は正社員で税金もばっちり納めていたのかな。まあ、それは夫次第だったかもしれないですが。

 

 

肌年齢・骨年齢・血管年齢

 


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こんにちは。

近所のカルチャーセンターに、新しい教室がオープンして、その記念に〇〇年齢無料測定キャンペーンをやっていたので行ってきました。一人で行くのに慣れているので、どこでもホイホイ行ってしまう私です(笑)

 

肌年齢49歳、骨年齢39歳、血管年齢44歳でした。

一応全てほんとの年齢よりは下だけど、なんだか微妙だな~(笑)

骨が若いのだけは長年ジムに通っているおかげ?いや、よくわからん…

 

勧められたので、ついでに若返りヨガみたいなのの体験もやってきました。

私はガシガシ動いてドバドバ汗をかく系の運動が好きなので、正直ヨガ系は苦手です。

でも、こういう静かな運動の方が、本当は体にいいことも知っています。

 

そしていつも思うのですが、こういう、心身調整系のプログラムの先生って、おしなべて若々しくて美しいのです。

今日の先生も、おそらく年齢は私とそんなに変わらないと思うのですが、無駄なお肉がついてなくて、かといって筋肉ムキムキでもなく、姿勢も良くてスタイルが良く、お肌も綺麗でした。

まあ、こういう職業は自分自身が商売道具ですから、いつも美しく保っていないといけないのですけど。

 

でも彼女たちは真の健康オタク美容オタクなんだろうなあと思います。

それが商売になって、自分も綺麗でいられるんですから、いいことづくめだな~。

普通は体や肌に良いってわかっていても、なかなか実践できないし、続けることも難しい。

私なんて寝る前にお菓子食べまくりますし、夜更かしが好きでだいたい寝るのは1時~2時で、美容のために一番寝ないといけない10時~2時はたいてい起きています。

せめてもの罪滅ぼしに、ジムで運動しているわけで。

良い習慣も悪い習慣も、じわじわと自分の体に影響を及ぼしてくるのでしょう。

 

で、そのお教室は申込みしませんでした。良さげだったけど続かなさそうだったので・・・(^^;)

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 

日本の主婦は大変


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こんにちは。

 

駐在員妻としてニューヨークに5年半滞在しました。

たったの5年半なのであまり偉そうなことは言えませんが、日本の主婦業はやはり大変です。

要求されるレベルが非常に高いからです。

 

掃除と洗濯に関しては、日本が温帯モンスーン気候で(最近は亜熱帯のようですが)、常に湿気&カビと戦っていかなくてはならない、というのが負荷をかけていると思うのです。

ロンドンにも1年住んだことがあるのですが、ロンドンにしてもニューヨークにしてもカラッと乾燥した日が多く、ほっておいたらいろんな物にいつの間にかカビが生えていた、という事態はあまり経験しなくて済みます。ほぼすべての物が、ほったらかしでも大丈夫なのです。

日本だと、お天気が良い日には、お布団干さなくちゃ、大物のお洗濯しなくちゃ、靴箱のお掃除をしなきゃ、衣替えしなきゃ、ということになって、主婦は仕事が増えて大変です。

ニューヨークは、たいていのアパートには個々の部屋に洗濯機がありません。洗濯するときはアパートの中にある(ないアパートもありますが)コインランドリーへ25セント玉を握りしめて向かいます。

面倒なのとお金がもったいないのとで、洗濯の回数も少なくなります。子供が生まれる前は、洗濯は週1回しかしませんでした。

洗ったら即乾燥機へGO!なので、パンパン!とたたいてしわを取ってハンガーにかけるなどの、干す、という作業はなくなります。

乾燥機からカラカラに乾いたくしゃくしゃの洗濯物を取り出して、ホコリまみれのテーブルで畳んで洗濯は終わりです。周りは黒人やヒスパニックの家政婦さんたちが多かったかな。

 

食事の準備も簡単です。アメリカのシチュエイションコメディーとかだと、晩御飯はパスタに瓶入りのトマトソースをそのままドバっとかけて、サラダを付けて終わり、というシーンをよく見ました。

実際にそんなひどい食事なのかどうかは知りませんが、息子が通っていた現地の幼稚園のお子さんたちのお弁当は、もうびっくりなレベルでした。

紙袋の中にリンゴとピーナツバターサンド、というのは有名な話ですが、中には、登園途中にピザ(具がないただのチーズピザ)を買って来て、お昼に食べさせて、とそのまま先生に渡している親もいました。いくら温めなおしても、それは不味かろう(;^ω^)

容器の中にオレンジ色のどろどろのチーズとマカロニが入っていて、それを温めて食べるというのもありましたし(マカロニ&チーズという物です)、シリアルだけとか、朝ごはん用に通りで売っているベーグルにバナナとか、そんなんばっかりでした。

アングロサクソン系の人たちは、食べることにあまり執着がないのでしょうね。

 

翻って日本ですが、晩御飯は一汁三菜、和え物煮物焼き物揚げ物、味が被らないように気を配り、栄養バランスも考えて、だいたい2時間ほどかけて毎日作っているのではないでしょうか。

毎日毎日ほぼ365日、料理番組やレシピ本やCOOKPADを見て、家族が喜びなおかつ栄養バランスも良い献立を考えているのです。

しかも和食洋食イタリアン中華と、日本の主婦は何でも一通り作れますよね。

というか、それくらいは出来るだろうと、世の中から当然のように思われているのです。ものすごい高いレベルの仕事を要求されているわけです。

これは大変なことですよ。

 

ニューヨークから3歳の息子と生まれて半年の娘をかかえて帰国し、夫の会社の社宅の一室でトランクルームから運び込まれた膨大な荷物と船便でニューヨークから届いた荷物とに囲まれ、茫然としていた自分を思い出します( ;∀;)

その私に追い打ちをかけたのが、幼稚園でした。

家の近くの幼稚園にすんなりと入園が決まり、その手続きのために先生とお話をしていたのですが、園の規則など事細かに書かれたプリントをどっさり渡され、そこで先生が何気なく、

「お子さんの持ち物は全部お母様の手作りでお願いします」

とおっしゃったのです。Σ(・ω・ノ)ノ!

頭が真っ白になりましたがひきつった笑顔でおいとまして、帰宅してプリントを見て再び茫然となってしまいました(笑)

トートバッグに上履き入れ、体操服入れ、コップ入れにお弁当箱入れ・・・10種類くらいあったでしょうか。

一応嫁入り道具のミシンはあったので、手芸屋さんに何度も通って材料を購入し、作り方の載っている本を見ながら下の子をあやしつつの作業が続きました。

スモックには手作りの新幹線のアップリケも付けました(息子はすでに立派な鉄オタでした)あ、そういえば娘の幼稚園はスモック自体が手作りだったっけ(;´∀`)

あの頃は私も若かった。実家も遠く、頼る人もいない中、日本のお母さん大変すぎるとブツブツ言いながら頑張りました。(社宅には親切にしてくれた奥さんもいましたが)

でも、別に手作りでなくてもいいんじゃないかな。

作ってる時間を子供と遊ぶ時間に回すほうがいいんじゃないの?

今はもうそんな習しはなくなってるのかしら。

 

私はまだそのころ専業主婦でしたからなんとかなりましたが、これがお仕事もしているママだと、この膨大で高レベルな家事をどうやって片づけているのか、考えただけで気が遠くなります。

日本の女性の睡眠時間が世界一短いというのも頷けます。

特に、パート兼業の主婦は、「家事に支障のない範囲で働く」ことを前提にしているので、少々きつくても家事の手を抜くことは許されないのです。

アメリカ並みの家事で済むのなら楽なのにと思います。それに、アメリカの男性はよく家の中で働きますしね。

 

長々と読んでいただいてありがとうございました。

娘と息子(一般論的な)

 


 
 
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こんにちは。

お腹の調子がずっと悪く、そんな時に限ってキャンセルできない用事が続き、ブログの更新ができませんでした。

なんなんでしょうかねえ、お腹がシクシク痛んで、でもお医者さんに行くほどのものでもない。なかなか良くならないのは歳のせいでしょうか(;´・ω・)

 

そうそう、タイトルの娘と息子の話ですが、なんで親は娘には本音を言って、息子には言わないのか?という話です。

そうではない兄妹(姉弟)もいますが、私の周りに限るとそういうケースは多いです。

母親と娘の関係で言うと、娘が反抗期も終わって落ち着きだすと、母親は、娘がまだまだ子供でも、一人前の話し相手として(一方的に)扱い始めます。

たいていは旦那さんの悪口とか、嫁がいたら嫁の悪口とか、近所の噂話とかを娘に聞かせるのです。

私は母からてんこ盛りの愚痴を聞いてきました。

結婚して家を出てから、母との電話の内容は、ほとんど母の愚痴でした。私の話はほとんど差し挟む余地がなく、ただひたすら聞いておりました。

遠く離れているから、愚痴を聞くのも親孝行だと思って聞いておりました。

父とはそれほど頻繁に話はしていませんでしたが、やはり愚痴や悩みを聞かされることが多かったです。

びっくりしてしばらく固まってしまうような家族の秘密なども父から聞かされ、なんでそれを私に言う?( ;∀;)と思いつつ、それはお墓まで持って行こうと心に決めました。

そのびっくりな事実は息子(私の兄です)には話したの?と父に聞いてみると、案の定、話していない、とのことでした。

息子には心配をかけたくないんでしょう。親なりに、息子には気をつかって、見栄を張ってるのかな。

結婚して嫁さんがいると、なおさら言えなくなってしまうんでしょうね。

老後は実の娘に看てもらいたいという親は多いと聞きますし。

両親をほぼ同時に施設の別々の部屋に入居させたのも、母からある事実を聞かされて、それはもう二人で生活するのは無理だろうと、兄にその事実を伝えて、それで決まったことなのです。母も、兄には言いにくかったのでしょう。

 

夫も姉弟の2人兄妹ですが、やはりお義母さんは夫には知らせていない事がいくつかあったようです。

もちろんお姉さんは聞いてたのだと思いますが、嫁の私も、「これは息子(私の夫)には言ってないんだけど」、という前置きの話を聞いています。

嫁は知ってるのに息子は知らん、という、逆転現象が起こっていました。

やっぱりお義母さんも息子は大事で、あまり美しくない事実は知らないでいてほしいのでしょうね。

 

翻って、我が家も娘と息子がいますが、私からすると、やはり娘はいろいろと話し易いので、いらんことまでしゃべっているかもしれません。

息子は、愚痴など言ってもほとんど聞いていないし、あまり言うと軽蔑されそうなので話しづらいのは事実です。

 

息子はともかく、娘はもうちょっと大事に扱わねばと、しばし反省した次第です。

 

読んでいただいてありがとうございました(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

着付け教室に通うと着物を買う羽目になってしまうのか。


 
 
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こんにちは。いつも遊びに来ていただいてありがとうございます。

 

別に誰かに聞かれたわけではないのですが、タイトルを疑問文にしました(笑)

 

結論から言うと、着物は買うことになります。着付け教室は顧客開拓のためにレッスンを無料かせいぜい1コインでやっていて、生徒さんが着物を買わないと儲からないですから。キムタクも某大手無料着付け教室のCMに出てますよね。

そのセールスがしつこいかあっさりかの違いはあります。しつこいのが嫌で教室変えちゃう人もいます。

そもそも着付けを習う生徒さんて着物は全く持っていないか、持っていても嫁入り道具の年代物の流行遅れの品ばかりで、新しく着物を誂えないとやっていけない人が多いはず。

おまけに、そういう教室での販売会で扱われるのはお値段高めの良い品が多く、見てると欲しくなっちゃうんですよね~。

まあ、中には、箪笥二竿に入りきらないくらい着物を持っているセレブ奥様もいますが、そんな人は例外かな。

 

着物はやはりお金持ちの道楽って感じがぬぐえない。

リサイクルを生かすという手もありますが、着物がここまで廃れてくるとリサイクルする着物そのものが枯渇して、リサイクル市場もいずれ終わるのではと、某リサイクル着物屋さんのお店の人が言ってました。

私もいつまで続くかな。。。お金とモチベーション( ;∀;)

 

モラハラ夫の行く末


 
 

こんにちは。いつも遊びに来ていただいてありがとうございます。

 

モラハラ夫代表の父の話です。

父は、昭和一ケタ世代で男尊女卑思想が骨の髄までしみ込んだ、どこに出しても恥ずかしくないモラ夫でした。

気に入らないことがあるとブチ切れるとか、しつこくしつこく説教を何時間も続ける、といった、狭義のモラハラには当てはまりませんが、妻は自分の持ち物であると当然のように思っていたという点では立派なモラ夫でした。

うまく言葉が出ないと手が出ることもありました。

母はそんな父にいつも苦しめられていました。

父は定年退職後は一切働きに出ることもなかったので、一日中家にいて、母を顎で使っていたので、母のストレスは相当なものだったのだと思います。

およそ体に悪いことは何もせず、健康だった母が突然難病に倒れたのも、父のもたらすストレスが原因だったのだと思います。

 

母の病気は父にとっても青天の霹靂だったはずです。

老後は、母に身の回りの世話をしてもらい、大事にされて死んでいく予定だったのですから。

父は、小心者なので外面はとても良く、母と私にはわがまま放題でした。(なぜか、兄には遠慮してました。)

 

母が入院中、父は、母が退院しても不都合がないように、自分でホームセンターで手すりを買って来て、家の廊下に取り付けたりしていました。

人工呼吸器を付けて眠っている母に、「可愛い顔してるなあ」などと言っていました。

それは母が元気だった頃に言っておけば良かったんじゃないの、救いようのないアホだと私はあきれて聞いていました。

 

で、母が奇跡的に一命をとりとめて、帰宅してきたのですが、母はもう以前の母ではありません。

やはり体が辛かったのでしょう、辛抱強くわがままを言わなかった人でしたが、私には泣きながら電話をかけてきたりするほど弱っていました。(私は遠方に住んでいたので、たまに帰るぐらいで、何もしていません)

父はというと、元通り、家事は一切せず、母にあらゆることを言いつけ、使用人のように使っていました。

手すりを付けたのも、家事ができるようにってことだったんですね。

そうこうしているうちに、父も足腰が弱り(朝から酒を飲んで、運動など一切していなかったのですから、当然のことですが)歩行が難しくなってきました。

いわゆる老老介護状態になってしまったのです。

母はもうこれ以上父と一緒に生活したくない、と訴えてきたので、介護付き老人ホームの、別々の部屋に父と母、両方入ってもらいました。

ここで母はやっと父から解放されたのです。

体は弱っていましたが、表情はかなり柔らかくなり、私もホッとしました。

 

父は、家から出たくなかったのですが、誰も世話をする人がいないので、渋々ホームに入居しました。

母はすぐに打ち解けて、食堂での食事も周りのおばあちゃんたちと楽しくお喋りして過ごしていましたが、父は部屋からほとんど出ず、お酒ばかり飲んで、ろくに食事もしていなかったようです。

私がたまに父の部屋を訪れると、母さんはどうしてるんだ、元気にしているのかと心配し、ここにお母さんを連れてこいと、そればかり言っていました。

母は父の部屋に一度も行きませんでした。父からは電話も頻繁にかかっていたようですが、うるさいししつこいと、それもほとんど出ていなかったようです。

 

一度だけ、食堂で、父が母を見つけ、「お~い!お~い!」と大声で叫んだそうですが、母は恥ずかしいと、無視して自室に戻りました。

 

父はその後体調を崩して入院し、亡くなる1日前に母が一度だけ見舞いました。

そのころには母も認知症を患って、どこまで状況を把握していたかはわかりませんし、父ももう意識が朦朧としていたので、久しぶりに母を見てどう思ったのか、それも私にはわかりません。

 

父は父なりに母が好きたっだのだと思いますが、実に幼稚な愛し方でした。

母は父のことを毛嫌いしていまたが、父は自分がどんなに母に疎まれていたのかわかっていなかったのではと思います。

施設に入ってからの父は寂しい日々だったでしょうね。

でも自業自得です。

 

還暦も迎えていない私が言うのはおこがましいかもですが、いい人生だったかどうかって、老後をいかに過ごしたかで決まるんじゃないかな。

人生プラマイゼロ、ツケは必ず回ってくると、私自身も覚悟しています。

 

私の夫も、ツケがだんだん回ってきている感じです。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分がもう一人いたらいいのに


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こんにちは。いつも遊びに来てくださってありがとうございます。

 

自分がもう一人自分がいたらいいのになあって、よく思う時期がありました。

本音を言える友達もいないし、同性の姉妹もいない、仲が良かった母も亡くなってもういない。寂しい。

そんなとき、私がもう一人いたら、きっとお互いがお互いの最高の理解者になるだろうし、いつも支えあって、生きるのも楽になったろうなあなどと、ちょっと病んだ感じのエキセントリックな妄想をしていました。

一卵性の双生児が羨ましかったです。

同じ遺伝子を持って、同じ環境で育つのですから、一生の友達を得たようなものでしょう。

「一卵性双生児は一般の人たちより寿命が長い」という研究結果が発表されたときには、ほらね!って、一人でどや顔をしていました(笑)

一卵性双生児は特別な信頼関係が確立されているので、お互いをいろんな形で助け合うことができるからだそうです。

肉親だからその関係は一生続きますし。

そういう変な妄想をしてる間は楽しかったですね。

 

それとは全然違う意味で、仕事と学校のバザー委員と家事でてんてこ舞いのときに、「私がもう一人いて、同時に家事やってくれたら早く片付くのになあ~( ;´Д`)」ともよく思いました(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加齢による性格の変容


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こんにちは。

いつも遊びに来ていただいてありがとうございます。

 

若いころから性格診断テストが大好きです。9つのタイプに分けるとかそういうやつです。

やはり自分の根暗な性格に悩んでいて、いろいろ分析してみたかったんだと思います。

しかしこの年になって性格診断もないですよね。性格を変えることなんてほぼ無理、ということもわかってきましたし。

ただ、ここ4,5年なのですが、人からどうも「大雑把でいい加減な人」だと思われていることに気が付きました。

血液型がA型だというと驚かれたりします(どういう意味?(-_-;))あ、血液型占いは全く信じていませんよ。占いの類はまったく興味ありませんので。

若いころはA型だと言うとみんな納得してくれてたのになあ(笑)

それと、最近は性格診断をすると、するたびに微妙に違う結果が出てしまうのですが、「楽天的」という項目に関しては常に高得点になっています。

あれ?私いつから楽天的になったんだっけ?

でも「楽天的」と「大雑把でいい加減」というのはかなりの割合でリンクしているような気がします。

そうか、これは年をとって、いろんなことに鈍感になってきている、ってことなのかなと、私なりに分析しました。

よく言えば細かいことにこだわらなくなってきたってことでしょうか。

たしかに、最近、うつうつと悩む時間が減ったような気もします。

 

夫には、ちょっとした表現の仕方に激高して相手を完膚なきまでに言葉で叩きのめす、という悪質な趣味があります。恐怖の時間です。

以前は「私が悪かったんだ、今後気を付けよう」とけなげに反省していました。

でもさすがに私も年を重ねて夫がただの「屁理屈大王」というのがわかってきまして、相手をするのもアホらしくなり、まともに相手にしない、上から目線で聞き流す、という術を身に着けました。

 

そういう風に過ごしているうちに、だんだん周囲の目や行動に振り回されないようになってきたのかもしれません。

他人の気持ちを慮って行動するのは大事なことですが、他人が本当になにを思い、考えているか、全て把握するのは無理です。

なんてことを考えているうちに、「大雑把でいい加減で楽天的な」ワタクシになっちゃったんでしょう(笑)

年を取るといいこともあるもんですね。いいんだか悪いんだかわからないですが(^▽^;)

 

 

 

 

息子、帰国する。


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こんにちは。

昨日、息子がニューヨーク観光旅行から無事に帰ってきました。

実は息子は3歳までニューヨークにいました。

でも3歳で帰国したのでニューヨークの記憶はほとんどなく、わずかに住んでいたアパートのドアマンの優しい髭のおじさんを覚えている程度…なので、英語もすっかり忘れていて、初めてといってもいいほどのニューヨーク訪問だったのです。

今の若者は海外に興味を持たないと言われていますが、息子もその例にもれず、海外旅行ってそんなに楽しい?なんでそんなに海外に住みたいとか思うの?みたいな感じで、今回の旅行も友達が誘ってくれたのですがあまり乗り気ではありませんでした。

なので、私が「とにかく行っておいでよ。絶対好きになるから」といって背中を押し、息子はしぶしぶ出かけたのです。

 

果たして息子は、「びっくりした。NYってすごい所だね。すごく楽しかった」とまだ興奮冷めやらずといった感じで帰宅して、私はそうだろうそうだろうとドヤ顔で息子の土産話を聞くことができました。

空港から地下鉄に乗って最初に降り立ったのがタイムズスクエアで、そびえ立つ摩天楼とすさまじい喧騒に度肝を抜かれたそうです。

「ほんとにオレ、あんな所に住んでたの?」と何度も言われ(笑)、

「住んでたんだよ~。巨大なチャイナタウンで馬鹿安い食材を買い込んだり飲茶したり、お弁当を持ってセントラルパークに行ったり、まだ日本には上陸していなかったスタバでオレンジジュースを飲んだりしてたんだよ(←ちょっと自慢)」

物乞いするホームレスや人種差別を目の当たりにしたり、自分は「Japanese」ではなく「Asian」と呼ばれる存在であることなど、いろいろ考えさせられる出来事もあったようです。

 

海外に住みたいとか仕事をしたいとかいう気持ちも少しわかった、とも言っていました。まあ百聞は一見に如かずとも言いますし、行かせて良かったと思います。

何より、生まれて3歳まで過ごした場所を好きになってくれて良かったです。

 

「ニューヨーク良いとこ、一度は行っておいで」ですね。

しばらく時差ボケが大変そうだけど(;・∀・)

 

 

 

 

指定校推薦、自己推薦、AO・・・


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こんにちは。

またまた受験のお話です。

最後の保護者会で、大半の親はこれから大変だあと気持ちを引き締めたりどよ~んとしたりしていたと思いますが、もう受験が終わっている親も数名いたはずです。

いわゆる指定校推薦という制度で、大学の方から、お宅の学校から優秀な生徒を〇名、受け入れますよ、ということで、たいていは試験なしで入学を許可してくれるありがたい制度です。

娘の学校にも、誰もが憧れるあの大学とあの大学から、それぞれ数名、もう合格をもらっている生徒がいるんですよね。書類選考だけなので、学校側が推薦する生徒を決めた時点で合格です。

これほど親孝行な受験はないでしょう。うらやましいです。

もちろん、誰が指定校で決まったかは本人も先生も言ってはいけないらしいので、当該生徒が誰なのか、今は全くわかりません。

推薦を受けるためには、高校3年間、すべての科目で学年トップの成績を維持しなければならないですし、大学に進んでも出身高校の看板を背負っているわけですから、品行方正な生徒でないと推薦はもらえません。

うちの娘は成績も態度も良くないので論外です┐(´∀`)┌アリャ~

まあ大学によってはそんなに成績優秀でなくても推薦がもらえるところもありますが、そういう大学は誰も手を上げないので推薦枠が埋まらないまま終わることもあるようです。

 

指定校が終わると、自己推薦やAOなどが始まります。

これは普通に落ちることもありますし、小論文や面接や、研究発表などが課せられるので一般入試より大変な気がするけど。。。

でも早く決まるという意味では楽ですよね。

 

なんか、入試要項みたいな内容になってる今日のブログ(;^ω^)

 

で、推薦で早々に受験期間が終わってしまうと、もう勉強しませんよね。

どうもそのあたりから毎年、推薦で決まった生徒と一般で勝負する生徒との間に溝が出来てクラスの雰囲気が悪くなる、と、娘から聞きました。

娘の学年もそうなっちゃうのかしら。。。

息子は男子校出身で、推薦で進学する生徒がそもそも少ないので、そういう問題は聞いたことがないですが。

塾の先生の話では、推薦やAOで入学した学生と、一般入試で入った学生とでは明らかに学力に差があるそうですが、その原因は合格が決まった時点で勉強しなくなるからだそうです。

現役生の学力が伸びるのが11月以降なのに、その前に勉強を止めてしまうので、学力がどんどん落ちて行ってしまうというのはうなずける話です。

なんだか勿体ないような気もしますが、どういう方法で進学しようとそれは人それぞれですから、大きなお世話ですね、はい。

 

少子化の影響で、どこの大学も優秀な生徒を集めるのに苦心しているのがわかります。

特に私立は、センター試験だけで合格できたり、全国各地で受験できるようにしたり、受験科目を少なくしたり、外部試験を利用したり、学部を新設したり、あの手この手で生き残りをかけているように見えます。

 本当に難しい大学はトップの何校かだけで、他大学は、私が受験した頃よりよりずっと入りやすくなっているのじゃないかしら。

あと何年かしたらセンター試験もなくなり、入試制度も大きく変わりそうです。

大学も、アメリカみたいに、入るのは簡単、出るのは大変、な方向に変わっていくのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の保護者会

 


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こんにちは。

昨日、娘の学校で高校最後の保護者会がありました。

2人兄妹の下の子なので、私にとっても最後の保護者会です。

受験生の親としての心得などのお話しがあって、改めて、最後までしっかり娘を支えなくてはと思いました。

大学受験は山登りみたいなものかな?

でも親が付き添えるのは5合目(富士山で言うと)くらいまでで、そこから先は子どもだけでえっちらおっちら登っていかなければなりません。

大した苦労もせずここまで来た子どもたちにとっては最初の試練かもしれないですね。

良い知らせが来ると目の前がパーッと開けて強気になり、悪い知らせが来るとお先真っ暗な気分になって落ち込むという、その繰り返しがしばらく続きます。

親は何が起きても決して動揺せず、どっしり構えて見守る、というのが理想ですが、3年前の息子の受験の時はもう上がったり下がったりジェットコースターに乗っている気分で、それを息子に悟られないように振る舞うのが精一杯でした。

希望がかなうかどうか、今のところかなり怪しいですが(笑)最後まで頑張り切れたら笑顔で4月が迎えられると思います。

受験料も馬鹿にならないし、は~これから大変だ~(;・∀・)