今日も一人でお昼ごはん

コミュ障・人見知りで友達のいないぼっちおばさん専業主婦のひとりごとです。

私の育てられ方

 

こんにちは。

 

私は2人兄妹の妹で、親は当然一人目の兄を細心の注意で育て上げ、そして私はほぼ放っておかれました。

今の私の状態は、そういう親の育て方がかなり影響していると思います。

 

あまり注意されることもなく、アドバイスをもらえることもなく、好きにしていいよ、みたいな感じですね。

ただし、好きにしていいよ、は、あくまでも親の常識の範囲内で、という制限付きです。

たとえば、独り暮らしは危険だからダメということで許してもらえませんでした。

結婚もせずに三十路を迎えていたりしていたら、親もいい加減出て行ってくれと思ったでしょうが。

 

親に「勉強しろ」とはほとんど言われませんでしたが、根が真面目だったのと小心者だったのとでそこそこの成績は取っていました。

母は口癖のように「勉強しろと言わなくても勉強してくれて楽だった」と言っていました。

それは違うんじゃないの?と今なら言い返せます(笑)

親にとってちょうどいい加減の成績を取っていたので「勉強しろ」と言わなかっただけで。

 

大学進学を控えた頃だったか、将来なにか就きたい職業はあるのかと聞かれて、恐る恐るこういう仕事がしてみたい、と答えたのですが、それに対して父は間髪おかず、

「お前にそんな仕事ができるわけない」

と言いました。

 

自分に自信がなかった私は反論も出来ずに黙って聞いていました。

なんか納得がいかなかったですけど、それを口に出すほどの自信がなかったんです。

 

でも、その父の言葉を今でも覚えているということは、けっこう私にはキツイ言葉だったんでしょう。

 

そうだ、私にそんな仕事が出来るわけがないと思い、私はごくごく平凡なOLになって、25歳で結婚して仕事も辞めました。

それ以来、夫の転勤に従って引越しを繰り返し、その場その場で出来る仕事をパートでやってきました。

結果的にはそれで良かったのかもしれないですが、もっと仕事に重きを置く人生もあったかもしれないとふと思います。

 

娘も将来の仕事に就いては壮大な夢を持っていますが、私は何でも応援するつもりです。

どうすればその職に近づけるのか、私なりに考えて娘に話したり、私の経験から(大した経験もしていませんが)アドバイスできることは出来る限りしています。

 

父は昭和ヒトケタで考え方も古臭く、女は結婚して家庭に入いるものと思っていたので、私が就職するときもアドバイスも助言もありませんでした。

どうせ腰かけなんだからなんでもいいと思ってたんでしょうね。

 

母はどうかというと、働いたことがなく、とにかく先生になれ、の一点張りでした。

私は先生にはなりたくなかったので母のアドバイスはほぼ無視していましたが、いわゆる「手に職」を付けてほしかったんだと思います。

それはわかるけど、先生以外にもいろいろ選択肢はあるし、もっと他の案も提示してほしかったですね、今となっては。

 

父も母も、私を育てるにあたっての「方針」がなかったんじゃないのかと思います。

時代の移り変わりにどう娘を対応させればいいのか、わからなかったんでしょう。

結婚さえすればなんとかなる、ということで、それ以上のことは考えてなかったのだと思います。

 

娘の私としては、もうちょっとお節介を焼いてほしかったですね。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 


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