今日も一人でお昼ごはん

コミュ障・人見知りで友達のいないぼっちおばさん専業主婦のひとりごとです。

道徳教育とセンター試験の廃止

 

こんにちは。

 

来年から道徳が教科化され、大学入試センター試験は 2020年1月を最後に廃止されます。

私にはこの二つの変化が相容れないもののように思われて仕方ありません。

 

道徳というのは、時の権力者が、被支配層を御しやすくするために、一定の考え方を教え込むための指導の時間だと思っています。

これはずいぶん偏った考え方だと思います。でもそのように思えてしまうのです。

 

戦前の修身とまでは言いませんが、今、権力を握っている人たちの言動を見ていると、道徳という教科を使って子どもたちの考え方をある方向へ導こうとしているのではないかという疑念がぬぐえないのです。

 

で、センター試験は廃止されるわけですが、その理由が、私の理解では、マークシート方式で知識量だけを問うのではそれぞれの子どもたちの本当の力が測れない、記述式で発想力を問いたい、そんな感じでしょうか。

 

なんだか矛盾していると思うんです。

道徳教育で子供たちの考え方を一定の方向に向かわせながら、大学を受けるときになると自由で柔軟な発想を問うわけです。

大人の都合を子どもたちに押し付けているだけじゃないでしょうか。

大学受験の所でいきなりはしごを外しているようなものです。

 

マークシート方式のセンター試験は、基礎的な学力を測るという意味では私はそんなに悪いものではないと思っています。

子ども達それぞれの個性を見たければ、2次試験で各大学が工夫して試験問題を考えればいいのではないでしょうか。

 

それに、そんな莫大な量の記述試験の解答を採点するのは大変なことだと思います。民間に委託するようですが、うまく機能するのか心配です。

 

今のセンター試験に問題があるとすれば、年1回しか受験する機会がないことです。

それも、インフルエンザの流行する冬に、たったの1回です。これは受験生にもその親にもけっこうな負担ですから。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 


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娘の大学受験雑記 国立大学を蹴って私立に進学した息子

こんにちは。

 

娘が国立に受かって良かった良かったなどと浮かれておりますが、実は息子は前期国立に受かったのに、そこを蹴って私立大学に進学した、という経験をしております。

  

以前にもこの話は記事にしたかもしれませんが確認作業が面倒なのでまた書きます。スボラですみません(^^;)

 

私は自分が私立大学出身なので、国公立大学への憧れは人一倍強いと思います。

私の行った大学はそれなりに有名な所でしたが、入ってみたら、内部出身の人の多いこと多いこと。

 

最近の内部生は昔に比べると厳しくなっているので、そんなに遊び呆けてはいないと思いますが、私が大学生の頃は、内部生といえば中高ほとんど勉強していない感じで、英語の授業では簡単な単語の意味がわからず、その他の講義でも漢字が読めないといった状況でした。

 

こっちはそれなりに受験勉強を頑張って入ったのに、実態はこれかい!と入学早々がっかりしたのを覚えています。

 

まあ私自身も私立文系ということで、英語と国語と世界史しか勉強していません。

理系科目が苦手だからと逃げたわけですから相当なコンプレックスも抱えていました。

 

そういう私の事情により、子どもたちには国公立へ行きなさいと、けっこうしつこく言っていました。

これって、親の夢を子どもに押し付ける、まさに悪い親の典型ですね。

たまたま子ども二人ともその期待に応えることが出来ただけで。。。

 

息子は国公立前期の大学(地方の旧帝です)から合格をいただいたのに、その後に発表のあった私立大学に受かったとわかると、そっちにも行きたいとなって、どうしよう、どっちに進もうかと悩み始めました。

 

私も夫も、当然国立でしょう!と、当初は息子に言っていましたが、結局息子の意思に従って、私立に入れました。

 

後でわかりましたが、息子は東京を離れたくなかったようです。それと、その私立大学ブランドにけっこう憧れがあったようですね。

今年3月に無事卒業して、希望の会社にも就職できたので息子の選択は間違ってはいなかったと思います。

 

ただ、先日、娘の入学式に参加して、国立大学の良さを再認識して、息子にも国立の方に進んでほしかったなと、ちょっと残念な気持ちになってしまいました。

息子はそんなこと全く考えていないでしょうね。大きなお世話ですね(^^;)

欲張りな親ですよほんと。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 


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娘の大学受験雑記 科目数が少ないのは本当に楽なのか

 こんにちは。

 

また受験のお話です。

興味のない方すみません(^^;)

 

さてさて、科目数のお話です。

 

理系の話になりますが、国公立大学は、センター試験、2次試験ともたいてい理科は物理・化学・生物の3科目から2科目選んで受験しないといけません。

物理と化学を選択するのが無難なので物化で受験する生徒が一番多いと思います。

 

これが私立大学だと2科目受験しないといけないのは早慶くらいで、上智理科大以下の大学は1科目で受験できます。(TEAPなどの外部試験を利用した場合は2科目になることもあります)

 

1科目しか勉強しなくて果たして入学してから大丈夫なのか、ということに関してはちょっと置いておいて。。。

 

1科目で済むなんて楽じゃないか、と、誰でも思いますよね。

でもここに落とし穴が…あるんじゃないかと私は思っています。

 

娘が現役のとき、某工業大学の一般試験を受けたのですが、物理の問題を見て、これは難しい、解けないかも、と、咄嗟に判断して、化学に乗り換え、なんとか合格できました。

もしあのまま物理をやっていたら、落ちていたかもしれません。

 

その時は試験中に科目を変えることが出来たので難を逃れたのですが、それを聞いて、1科目で受験するのは怖いなと思いました。

 

これが2科目受験だったら、たとえ物理でコケても、化学である程度は挽回できたはずなので、全体としては取り返しの付かない点数にはならなかったと思います。

 

リスクの分散ってことなのかな?

 

センター試験の模擬試験を何度も受けるとよくわかるのですが、ある科目がうまく得点できなくても、必ずそれを補ってくれる科目があるので、全体の点数はそれほど上下しないのです。

 

センター試験って、5教科7科目も受けなくてはいけないので勉強は大変ですが、科目同士で相殺し合うので、全体の点数は意外と安定するのです。

 

センター利用にしても、3科目選択、4科目選択、5科目選択といろいろあり、科目数が増えるほど倍率は下がって偏差値も下がるので、受かりやすくなります。

 

急がば回れ、ではないですが、受験科目が多いから大変、少ないから楽と考えるのはちょっと短絡的ではないかなと、自分を振り返っても感じた次第です。

 

とはいえ、近い将来センター試験も今の形ではなくなるので、この話もあまり参考にはなりませんね(^^;)

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 
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娘の大学受験雑記 国公立に固執する娘

こんにちは。

 

先週私立大学受験についての記事を上げたら、今週号のアエラに似たような記事が載っていてびっくりしました。

私立大学が難化して、浪人が増えていると…

娘の卒業した学校は、今年も多くの浪人生を出しているようです。

ちょっとかわいそうになります(:_;)

国の政策で右往左往している子どもたちの姿が見えるようで。

 

さて、娘が浪人した理由は、「国公立大学に行きたい」、それに尽きます。

 

文系だと私立も国公立もそれほど差は感じませんが、理系だと、学生ひとりひとりに税金をたっぷり使ってもらっている感が半端ないのは事実です。

学費も私立に比べると格段に低いので、理系なら国公立というのはまあ当たっているのでしょう。

 

娘は下宿生なので、仕送り費用は馬鹿になりませんが、それでも学費は4年間、この金額で済むのかと思うと正直ホッとしました。

私立文系だった息子の学費の請求書が来るたびにため息ついていましたから(^^;)

 

とはいうものの、娘の私立大学に対する態度はひどいものがありました。

 

一番最初に合否がでる大学(私立のセンター利用)の合格発表の日、さすがに受かっていたら娘も連絡してくるだろうと待っていてもメールも電話もなく。。。

しびれを切らして(というか、もう気になって仕事も手に付かないほどだったので)、私が大学のHPで合格の確認をし、夫に伝え、二人で「これで2浪は免れた」と肩をなで下ろしておりました。

 

娘から連絡がきたのは夜です。

「受かってたね、良かったわ」

それだけかい(;・∀・)

 

「中学受験じゃないんだから、挑戦校とか確実校とか安全校とかそんな風に受ける必要ないでしょ。行きたくない大学を受けても意味がない」

とかなんとかえらそーに言って、私立大学のセンター利用試験でさえ受けたがらなかった娘です。

 

なんとか説得して2校に出願するところまでこぎつけました。

もう1校どう?と聞くや「私が一般で受からないとでも思ってるの?」とキッと睨み返され、わわ、怒らせた、ヤバいと、あわてて引っ込めました。

 

ですので、残りの1校は娘に内緒で申し込みました。

娘は今でもその大学にセンター利用で受かったことを知りません(;´∀`)

 

でも正直、ヒヤヒヤしていました。と、言うのは、センター利用で出した大学はどこもほぼ同じレベルで、センターの出来次第で全部受かるか全落ちするか、どちらかしかない、というけっこう無謀な出願だったからです。

 

3校とも去年の娘のセンターの成績では合格できなかったところだったので、そのうちの1つでも受かれば、一応「浪人した甲斐があった」と納得できるわけで、最初の1校が受かったときは、親として本当に嬉しかったです。

  

困ったことになったのは、その最初に合格をもらったA大学と、その後一般で合格をもらったB大学のどちらに入学金を払うか決めるときです。

 

B大学の合格発表の次の日が、A大学の入学金振り込みの締め切り日でした。

Aに行きたければすぐにお金を振り込まないといけません。

ところが、その日もまた娘と連絡が取れなくなったのです。

娘は勉強の邪魔だと言う理由で、スマホは家に置いていて、携帯電話もほとんど見ない生活を送っていました。

 

これはもう直接娘の所に行くしかないと、夕方、娘の下宿を夫と共に訪ねました。

 

幸運にも娘は在宅していたのですが、やはり、B大学の結果は見ておらず、「合格だったよ」と言うと「えっマジで~?」と驚いていました。

 

娘はB大学はたぶん落ちているだろうと決め込んで、結果を見ていなかったのです。いや、ダメもとでも普通受かってるか落ちてるかぐらい見るんじゃない?(;´・ω・)

 

じゃあB大学で、ということで、入学金の行先はB大学になったのでした。

 

娘はB大学に合格したことは喜んでいたものの、そこに行きたいかというと、国公立の前期中期後期のどこかで受かったらそっちへ行くので特に行きたいわけではないと言っていました。

 

そうか~、B大学ってけっこう世間的には人気のある大学なんだけどな~と、ちょっと残念な気持ちになりました。

(それに、B大学なら自宅からわりと近いので自宅通学できたのです)

 

娘が出願した国公立大学はどこも家から遠いところで、どこに決まっても下宿決定でした。親としては出来れば家にいてほしかったのですが、本人は家から出たかったようなのでしょうがないですね。

 

ところで、国公立は前・中・後期と3回受験の機会があります。

最近は旧帝など後期試験を廃止しているところも多いです。

同じ大学なら当然後期の方が難易度が上がります。

ですので、後期に出願する大学は、たいてい前期より偏差値的に下の大学になります。

 

ここで注意しないといけないのは、後期と言うのは前期試験に落ちた人しか受けられないということです。

逆に言うと、前期に落ちてショックを受けて落ち込んでいる子たちが受けるのが後期試験なのです。

 

前期を失敗したショックから立ち直れなくて、後期試験を受けに行くことができなくなる生徒さんはけっこういるんじゃないでしょうか。

私立大学と違って、国公立の前期試験は1回しかありません。

ほとんどの人が第一志望として受けています。

ですので、落ちた時のショックは、私立の比ではありません。

 

学校の先生も言っていましたが、女子はこういう場合のメンタルが弱い子が多く、立ち直るのに時間がかかると。

何を隠そう、うちの娘が去年そういう状態になっていました。

ご飯も食べられなくなり、1日中ベッドにもぐりこんで、とても後期試験を受けに行ける状態ではありませんでした。

 

これを教訓に、今年の後期は筆記試験のない、面接だけでいいところにしました。

筆記試験を受ける元気がなくても、とりあえず現地に行って、面接官に会うだけでいいからです。

センター試験で合格ラインを越えていれば(センターリサーチでA判定をもらっていれば)、面接はおまけみたいなものなので、筆記試験をがっつり受けさせるところに比べると格段に楽なのです。

 

結果的に前期に合格できたので後期の大学に行く必要はなくなったのですが。

 

後期はセンター試験の結果のみで合格をもらえる大学もあるので(国公立のセンター利用みたいなもんです)、各大学の後期2次試験の内容をよーく見て、自分に合ったところを選べばいいと思います。

学科試験のあるところの方がいいという人もいるでしょうから。

 

娘の入学式に日帰り強行スケジュールで行ってきました。

一周するのに車で10分もかかる広大な敷地、まだ新しい立派な講堂、シンプルなデザインですが清潔で使いやすそうな校舎、何か所にも配置されている学食、生徒数の少なさ、重厚な雰囲気だった入学式、などなど国立ならではの良さをひしひしと感じました。

 

税金を沢山使わせてもらっていることに感謝して、勉強に励んでほしいと思います。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 


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娘の大学受験雑記 東京の私立大学

 こんにちは。

 

前回の更新、久しぶりだったのですが、スターを沢山いただいて、有難いことだと思っています。

今後もぼちぼち更新していきますので、どうぞよろしくお願いします。

 

この1年、娘の大学受験に付き合って、いろいろ感じたことがあり、感じたままに書いていこうと思っています。

あと数年で受験制度も大幅に変わるので、あまりお役に立たないかもしれませんが。

 

誰の発案かは知りませんが、去年の入試から、東京の大学への学生の集中を緩和するために、東京の私立大学に限って、合格者数の厳格化(要は減らせということです)が始まって、受験生に多大な影響を及ぼしています。

 

これ、上位の高校はあまり影響ないんですよね。余裕で合格できますから。

モロに影響を受けるのは、その下の、いわゆる中堅校というレベルの学校です。

ギリギリで合格を手にしていた子たちが滑り落ちてしまうのですから。

 

娘の行っていた高校が、まさにその中堅校で、去年から私立大学の合格者数を大幅に減らしてしまいました。

今年は去年よりさらに厳しい結果になっています。

 

娘も、現役のとき、模試でA判定をもらっていた大学の一般試験に失敗しました。

娘の同級生たちも、軒並み一般を失敗して、仕方なくセンター利用で合格した大学に進学しています。

 

この経験から、我が家では、私立大学はできる限り一般では受けないことにしました。

 

一般試験というのは、受験料もフルでかかりますし、過去問もしっかりやって準備しないといけません。

コストも労力も大きいのです。

 

それなのに落とされてしまう。これはある意味理不尽な話だと思います。正直者が馬鹿を見る、とまで言うと言い過ぎかな(-_-;)

 

ですから、第1志望が私立大学で、その大学が推薦入試やAOを実施しているのなら、まずそこから攻めるのです。

 

評定の関係などで推薦やAOにうまくはまらないときはセンター利用を使い、それもうまく行かなかったときはセンター併用型や外部試験(TEAPなど)利用型で受けます。

 

そうやって、できる限り一般試験のフル科目受験を避ける。もはや逃げているといってもいいくらいです(笑)

 

娘のような、国公立第1志望の受験生ならなおさら私立大学の過去問対策に時間を割きたくはないでしょうから、センター利用を大いに利用して、無駄な労力を使わないことです。

 

娘も今年は私立大学はセンター利用で3校受験し、一般で受けたのは1校だけです。

その1校も、外部試験のTEAPを使ったので、正確には一般では1校も受けなかったことになります。その大学はセンター利用型を実施していなかったのでしょうがなかったんですが。

 

結果は全部合格でした。

これには予備校の担任の先生に感謝しないといけません。

 

予備校の最初の保護者会で、先生はまずTEAPは受けないと損だと言っていました。

理系なのでTEAPを利用すると理科は1科目から2科目に増えてしまいますが、それでも英語の勉強に時間を割く必要がなく、かつ倍率も低いのでかなり有利とのこと。

 

現役のときは、TEAPまで手が回らず受けていませんでした。

 

実際に受けてみたところ、1回目であっけなく基準点をクリアできました。おかげで英語の過去問を解く必要もなくなって、かなり楽な受験となりました。

 

先生ありがとうです。

 

これから少子化もますます進んで、私立大学は学生確保に必死になるでしょう。

早く確実に生徒を囲い込める自己推薦やAOにもっと重心が移っていくと思います。

 

私たち親の世代は、推薦はまだ特殊なものだったので、一般試験を受けて正面突破すべきという考え方をどうしてもしてしまいがちですが、大学受験の世界もかなりのスピードで変化していっているので、自分の経験だけで判断するのは危険かもしれません。

 

国公立でも推薦に力を入れている大学が増えているようです。

苦しくて長い一般試験を受けなくてもいいのですから、推薦で受かれば本人も家族もかなり楽が出来ます。受験料も1校だけですむのですからお財布にも優しい。

というわけで、推薦・AOは大いに利用しましょう。

 

なんて、えらそうなこと言ってますが(笑)

 

で、私立の合格者が厳しく減らされた結果、東京への一極集中は本当に緩和されているのでしょうか。

東京が地元の子どもたちが割を食っているような気がしてなりません。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 


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お久しぶりです(^^;)

こんにちは。

3ヶ月ほどブログをお休みしてしまいました。今からその言い訳をぐだぐだ書きます(^◇^;)

 

実は娘が行くと言っていた大学にやっぱり行きたくないとゴネ、浪人することになり、家では親がウザいということでいざこざが絶えなかったのもあって、予備校の近くにアパートを借りてやってひとり暮らしをさせていました。

 

家から通える予備校なのに下宿です。

想定外の出費でかなり痛かったですが、娘と夫の折り合いの悪さで私も精神的にキツかったので、家から出させたのは間違ってはいなかったのかなと思います。

 

浪人生というのは、とくに女の子は精神的に不安定で、とにかく気を遣いました。

些細なことで機嫌を損ね、着信拒否も何回かされてしまい、連絡が取れなくなったりもして、親として落ち込むこともありました。

 

それでも娘が出て行ってからは、私自身は平常通りの毎日を送っていたと思っていました。

が、娘が3月に志望大学から合格通知をいただいて、なんとも言えない安堵感に包まれたとき、私も緊張の日々を送っていたのだとはじめて自覚しました。

 

受験生の母は辛いですが、浪人生の母はさらに辛いということですね。

 

で、1月のセンター試験から始まって、2月の私大の一般、2月後半の前期国公立2次、3月の中期国公立2次と、かつてない緊張の日々が続いて、ブログを書く余裕が全くなかったのです。

というわけで、ブログをサボっておりました。

 

お蔭様で、娘は第1志望の国立大学から合格をいただきました。

家からは飛行機でないとなかなか行きづらいかなり遠方の大学です。

入学手続きをした後は寮の申し込みや引っ越し準備、買い物、現地でのセットアップなどで本当に目が回りそうな忙しさでした。

ストレスでお腹の調子がずっと悪く、体重も減りました。

 

先日、無事に入学式を終えて、やっと一息つけました。

 

娘は合格を手にしてからもしばらくは気持ちの浮き沈みが激しく不安定でしたが、4月に入ってやっと落ち着きを取り戻し、私もあまり気を使わずに会話が出来るようになりました。

 

母のミッションもなんとか終了できそうです。今まで親に甘えてきた分、娘も苦労すると思いますが、もう知ったこっちゃありません(笑)

一人で頑張ってください。

そのための下準備は整えてきたつもりなので。

 

娘の受験に関しては、まだまだネタがありますので追々記事にしていきたいと思っております。

私の体調も元に戻りつつあるので体重も元に戻るかな。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 


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自分を客観的に見るのって難しいよね

 

こんにちは。

久しぶりの更新になってしまいました。

 

しくじり先生」、久々にやっていたので見たのですが、フィギュアスケーター村主章枝さんのお話を聞いていて、いろいろ感じることがあったので書いてみます。

 

私はフィギュアスケートを観るのが好きで、村主さんの演技も大好きでした。でも正直彼女のピークはトリノの少し前くらいだったと思います。

トリノの時の演技もあまり印象に残っていません。

4位というのはかなり良い結果だったと思うのですが、彼女は納得ができなかったのでしょうね。

 

だから現役続行を決めた気持ちはわかります。

でももともと表現力が武器だったので、技術の面では若い選手にどんどん越されていきます。

ついには全日本にも出場できなくなってしまいましたが、当然といえば当然の結果かな。。。

 

私がびっくりしたのは、スケートを続けるために親の退職金に手を付けたことです。

お母さんからは、もう資金援助はできないと言われていたにもかかわらず。。。可愛い娘からの頼みに、親も断れなかったのかな。

彼女はまだ若いからわからないかもしれないけれど、お勤めされている人にとって退職金は老後の大切な基盤です。

虎の子ですよ。

 

親の方から提供されたならわかりますが、遠回しにもうスケートは止めてほしいと言われているのに、そこまでやってしまうのが私には理解できませんでした。

 

今は振付師やスケートの先生として地道に働いているようですが、親にお金を返しているのでしょうか。少なくとも返しているとは言っていなかったので、そのままにしている可能性はありますよね。

 

別の記事で読んだのですが、彼女はボランティアでスケートを教えたり、スケート靴を提供しているそうです。

そのこと自体は素晴らしい行為だと思いますが、そんなことをする時間があるなら少しでも働いて親に借金を返せばいいのにって思いました。

 

お金の大切さがまだわかっていないのかもしれません。

 

彼女はお金を稼ぐと言っても振り付けとか先生とかスケートにかかわることか、テレビに出るとかヌード写真集を出すとか、手っ取り早く稼げることばかりで、時給〇円で地道に働くということをしたことはないのかなと思いました。

 

 

「引退の時期は自分では決められない」という結論でしたが、それもちょっと引っかかりました。

 

男子フィギュアスケーター町田樹さんっていますよね。

今は大学院で勉学に励みつつ、ショーにも出演して活躍しています。

 

彼は、ソチオリンピックに出場しました。

そして、その翌シーズンの全日本で、銀メダルを取って、世界選手権の切符を手にしたにもかかわらず、引退してしまいました。

まだまだ活躍できる選手だと誰もが思っていただけに、誰もが唖然とした瞬間でした。

 

その引退に関しては、彼が誰にも相談せず、一人で考えて一人で出した結論だと思います。

だから引退の時期を自分で決める人もいるということです。

 

村主さんは引退を決められなかったのではなく、引退する自分を受け入れられなかったのであって、やはり決めるのは自分しかいないのではないでしょうか。

 

 

もう一つ、彼女を見て気になるのは、いつも孤立していることです。

アイスショーとか見ていると、スケーター同士のつながりや仲の良さなどは簡単にわかります。

村主さんはどうも仲間がいないようなのです。

 

彼女を見ていると、「私はほかの人とは違う」というオーラが出ていて、近寄りがたい感じがするんですよね。

「氷上のアクトレス」と称賛されたこともありますが、彼女はずっとその頃の自分にこだわりをもっているような気がします。

 

スケートの世界も、引退後は人の繋がりが大切です。

ショーに呼ばれたり振り付けを頼まれたり、そういうのも結局は人との繋がりが支えている面が大きいです。お前が言うなって感じですけど(笑)

 

彼女ほどの実績があって才能があれば、引退後も日本のスケート界で十分活動出来ると思うのですが、わざわざカナダに行って一からやり直すというのはやはり日本では活動しづらかったのではないかと勝手に想像しています。

 

将来自分のプロデュースしたアイスショーを開催するのが夢だと語っていましたが、そのためにはやはり多くの人に支えてもらわないといけません。

結局は多くの人に慕われる人間性が一番大切だと思うのです。

今の彼女を見ていると、その夢を実現するのはなかなか難しいのではないかと。。。

 

いろいろ間違っているのかもしれませんが、しくじり先生を見た限りでは、彼女はまだ現実を客観的に見ることができていないのかも思いました。ちょっと厳しすぎ?

 

読んでいただいてありがとうございました(^^)

 

 


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初運動の日

 

こんにちは。

 

 年末年始、珍しく風邪を引いてしまってろくに更新もできませんでした。

新年のご挨拶もせず失礼いたしました。

こんな私ですが本年もどうぞよろしくお願いいたします。 

 

そんなわけで3週間近く運動もできなかったのですが、体調も良くなってきたので、今年初めてのジムに行ってきました。

久しぶりだったので欲張って4レッスンも受けてしまいました。

とは言っても30分のクラス3つと40分のクラス一つなので、たいした運動量ではありません(^^;)

 

最初のX55は、午前1番のクラスにあまり人気のないX55ということで、5人しか参加者はいませんでした。少ない。。。

30分でも1月からの新プロをちゃんとやってくれていました。

なかなかキツいブロックもありました(^^;)

でも30分でこの参加人数だと次のスケジュール改編でなくなりそうだな。。。(;´Д`)

 

次のクラスはボディパンプの30分。

パンプも30分じゃあまり筋トレした気分にはなれませんでした。

腹筋要らないからランチのパートをやってほしかったな。

 

その次はボディバランス30分。

これも1月からの新プロでした。

ボディバランスは先生によって雰囲気がかなり変わります。

今日のイントラさんは男の人だったので、うーん、ちょっと違うかな、って感じでした。

30分だからしょうがないけど。

 

その次は初めて参加するステップのクラス。

ステップはジムに通い始めた頃、最初に好きになった運動です。

けっこうハマりました。

ステップ台を登ったり降りたりするのでエアロビより多少複雑な感じがとにかく楽しかったのです。

 

ここ何年もレスミルズやラディカルばかりやっていたので、ほんとに久しぶりで、あの同じテンポで淡々と進む音楽のちょっと昔風な感じも懐かしかったです。(ふかわりょうの昔のコントみたいな感じ)

レスミルズもラディカルもBGMがやたらとカッコいいので比べるのは申し訳ない感じですが。

でもビギナークラスでもステップはそこそこ運動量もありました。

 

4レッスン参加して、やっぱり一番効率よく体を鍛えられるのはX55だと思いました。

有酸素しながら下半身ガッツリ鍛えられるのはさすがです。

テンポも早いから楽しいしね。。。

でも人気がないので青息吐息ですよ。

なんとか生きながらえてほしいものです。

 

そんなこんなでジムを出たらもう2時前になっていたのでカフェでベーグルサンドを食べて買い物もして帰宅しました。

空きっ腹だったので実に美味しかったです(^^)

 

帰宅したらちょっと咳が出てきて、ちょっと欲張りすぎたかなと反省しております。無理はいけませんね。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

  


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1年6組のTくん

 

こんにちは。

 

今日は、私が小学1年生の時の、忘れられない経験をお話をしたいと思います。

 

小学校入学式の翌日、私は緊張しつつも新しい環境にわくわくしながら自分の教室に入っていきました。

 

よく覚えてはいないのですが、おそらく新しいクラスメイトの女の子たちとおしゃべりをしていた時だと思います。

突然、後ろから誰かに髪飾りを触られました。

びっくりして振り返ると、1年生にしては大柄な男の子がなにかブツブツ言いながら、ニコニコ嬉しそうに立っています。

私を含め女の子たちは訳がわからず怖くなって逃げました。

すると、その男の子は追ってきます。

女の子たちはパニックになって教室内を逃げ回りました。

 

そこへ、担任の女性教諭が入って来て、子どもたちを落ち着かせ、どのように説明したのか覚えていないのですが、おそらく、その風変りな男の子をみんなに紹介したのだと思います。

 

私たちは先生の説明に納得して、おとなしく席に着いたのでした。

 

Tくんは、他人とコミュニケーションを取るのがかなり難しそうでした。

 

親には自閉症という説明があったのかもしれません。

 

何か節をつけて同じことをずっとつぶやいたり、または歌を歌ったりしていて、じっとすることが難しいのか、体はつねに左右に揺れていました。

教室でもおとなしく机につくことは難しいようで、教室内を歩き回り、時には教室から脱走して保健室のベッドで遊んだりしていました。

もちろん授業内容も理解しているとは思われませんでした。

 

そのうち保健室への脱走が頻繁になって先生も困ったのか、ある日学校に行くと、教室の後ろに保健室にあるベッドがデンと置かれています。

こうすれば、Tくんはいつでも大好きなベッドの上でゴロゴロでき、保健室へ脱走する回数も減るのではないかという先生のアイデアでした。

これが功を奏し、Tくんは教室から抜け出すこともなくなりました。

 

私たちクラスメイトは次第にTくんに慣れ、彼は人気者となっていきました

 

Tくんはたいていニコニコ機嫌良くしていて、上機嫌なときには「山寺の和尚さん」の歌を口ずさんだりして、彼の周りにはハッピーなオーラが漂っていました。

 

先生にも、クラスのお友達にも大切にされ、守られていました。

 

髪飾りをずっと触られ続けても、もう嫌がる女の子はいません。

彼が授業中に教室内を歩き回っても、ベッドでゴロゴロし始めても他の生徒たちは特に気にすることもなく、授業を聞いていました。

彼が何をしようと、授業は普通に成立していました。

 

今考えても、そのときの担任の先生の力量には驚きます。

自閉症児を受け入れつつ他の生徒全員に目を配りながら授業を進めるなんてなかなか出来るものではありません。

学生主任も任されていて、一目置かれていた先生だったのだと思います。

 保護者からの信頼も厚く、私の母も、その先生を心から尊敬しているようでした。

 

今だったら、授業中に歩き回ったりする児童がいたら、間違いなく保護者から苦情が来ますよね。

まして、教室の後ろにベッドを置くなんて、考えられないでしょう。

おおらかなあの時代と先生の度量の大きさから出来たことなのだと思います。

  

母から聞いた話では、Tくんは小学校に上がる少し前までは普通に発育していたそうです。

それが、どういうわけか次第に知能が退行してゆき、ついにコミュニケーションも取り辛い状態になったそうです。

調べてみると、たしかにそういう症状が出る病気(?)というか障害が紹介されていました。

 

順調に発達していた子どもが、ある日を境に赤ちゃんのような状態に戻って行くなんて、親にとって恐ろしいことですよね。

原因もわからないのです。

彼が普通学級に入れられたのは、おそらく、また元のようになってほしいというお母さんの強い願いがあったからだと思います。

 

Tくんとは意思疎通ができないので、どのように感じていたのかはわかりませんが、いつもニコニコして楽しそうではありました。

これはあくまでも私の印象ですが、そのクラスも暖かい雰囲気に包まれていて、その1年間は私自身もあまり嫌な思い出がありません。 

 

一番弱い立場にいる人が幸せで楽しそうにしていれば、周りは自然と幸せになっていく…ということなのかな?

 

Tくんのことは忘れられないし、あのほっこりとした6組のことも忘れられません。それを育んでくれた先生への感謝の気持ちも。 

   

読んでいただいてありがとうございました。

 

                 


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ドタキャンの恐怖

 

こんにちは。

 

突然ですが、ドタキャンされたことありますか?

 

私はよくあります。それもここ数年です。

 

 実は、数日前に、ある人(女性)と、あるショーを見に行くことになっていて、その後ちょっとお茶をする予定にしていました。

ショーを誘ったのは私で、お茶をしようと言ったのは彼女です。

以前からご飯食べに行きたいと彼女が言っていたので、ショーで会えるからちょうどいいと思っていました。

 

で、時間が遅いのでお茶はできないだろうからと、とりあえず私のほうで居酒屋さんを予約しました。

彼女はそれを喜んでいるようでした。

 

実は、彼女、よくドタキャンをする人なのです。

なので、今回もまたやられるかなとけっこうこわごわ様子を見ていたのですが、そのショーのチケットを送ってほしいと言われ、ショーの後お茶したいとも言って来たので、今回は大丈夫かなと思っていました。

 

それが、前の晩になって「仕事が忙しくて行けそうにない。居酒屋さんはキャンセルしてください。チケットは譲れそうにないから一人で見てもらうことになるかも」というメールが来たのです。

 

まさか前日の夜にキャンセルされるとは思っていなかったので、相当ショックを受けました。

しかもチケットは彼女が持っているので、私がほかの人を誘うことも出来ません。

もっと早く言ってくれればなんとかなったかもしれないに、それはないよ、と言いたいところですが、「残念、またランチでもしようね」と、穏便にお返事しておきました。

 

仕事が忙しいというのはもっともな理由です。

でも、彼女、その前週もイベントを入れていて、それにはしっかりと行っているのです。仕事が忙しいのはその間に仕事が溜まってしまったからでしょう。

しかも、翌週にもイベントがあって、そのころには仕事も落ち着くとかなんとか言っていました。

 

 

ドタキャンされると凹みます。

彼女の中で私の優先順位があまり高くない、ということがなんとなくわかってしまうからです。

もちろん、彼女には悪意などないこともわかっているのですが。

 

 

私はドタキャンって、ほとんどした記憶がありません。

されたら嫌だろうなと思うからです。

多少体調が悪くても忙しくても約束は守るようにします。

 

以前、ニューヨークに住んでいたとき、英語学校で知り合った日本人8人くらいと仲良くなって、そのうちの一人のおうちに遊びに行くことになりました。

彼女はマンハッタンから引っ越して、郊外のアパートに住んでいました。

 

それが、当日の朝になって一人が体調が悪いので行けなくなったと連絡が入り、そうしたら私も私もみたいな感じで一気に人数が減ってしまったのです。

おそらく、郊外までわざわざ会いに行くのが面倒になったんでしょう。

 

結局、私ともう一人の人と二人で行くことになりました。

その人も私も、一度決まった予定を変更したくないタイプの人間だったので残ったのですが。。。

 

招待してくれた人は、手作りのお菓子とかいろいろ用意していて、きっと大勢で来てくれることを楽しみにしていたのだろうと思います。

なんだか気の毒で心が痛みました。

最初にキャンセルした人はともかく、それに便乗するようにキャンセルする人たちにはいやな感じがしました。

 

でも、世の中、そんなに約束事を大切に思わない人もけっこういるんですね。

私みたいに捉えるほうが変わってるのかもしれません。

 

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 
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長生きしたくない

 

こんにちは。

 

昨日の夜、夫が私はたぶん95歳くらいまで生きる、みたいなことを言い出しました。

 

それは私の今の健康状態とか経済状況とかを考えた、私に特化した事なのかと思ったら、ただ単に今の私の年齢の女性があとどのくらい生きるかというグラフを見て計算しただけだということがわかってホッとしました。

 

なんかイヤミでも言われるのかと思って身構えちゃいましたよ。習慣って恐ろしいですね(^^;)

 

95歳というと、あと40年くらいです。

ちょっと長すぎない?

 

私にはもう介護しなければならない親もいないし、子どもたちが巣立つ日も近づいていて、そうなると私のやることはネコの介護くらいしかないので、恐ろしく時間が余りそうなのです。

 

お友達がたくさんいて、ランチや旅行をバンバン楽しめるリア充ばあさんならいいのですが、あいにく友達はいないし、かろうじてたまに集まるママ友仲間はいますが、この先どうなるかわかりません。

 

子どもたちは家を出たらおそらく戻ってくることはないでしょうし、今までのことを考えれば疎遠になって行くと思います。

 

兄弟も親戚も遠方でほとんど行き来はないですし、残るのは夫だけです。

 

子どもや孫に囲まれた生活にはそれほど憧れはありません。私の性格から考えると、たぶん、打ち解けるのは難しいと思うので、それなら離れて暮らしたほうがずっといいと思えるからです。

 

本当に体が衰えて、一人で暮らすのが難しいほどになれば、自分のことで精一杯で寂しいだのなんだの考える余裕もなくなってくると思いますが、そうなるまでの体が元気な間は寂しさを紛らわせるために何か時間つぶしをしないといけないわけです。

 誰からも必要とされてないのに。

 

そんな日々が何十年も続くのかと思うとそれはけっこう辛いかなあと思うのです。 

 

最近は「長生きのリスク」とか「がんの心配より長生きの心配をしろ」とか言われているので、私のよう長生きしたくないと思っている人はきっと多いでしょう。

  

今の生活に特に不満があるわけではないのです。

仕事の量も時間もちょうど良いし、健康だし、運動もしているし、趣味の方もそれなりに充実しています。

でもこの自己完結してる感じがなんとも心もとない。

 

周りの知人たちは、一人ではなく、親や姉妹やお友達と多くの時間を楽しんでいるのと比べると、あまりにも人と交わる時間が少なすぎるのが不安を煽るのです。

 

人と比べてもしょうがないのはわかっているのですが。

 

夫は、先のことなんか心配してもしょうがない、と一気に片付けてしまいました。

そりゃそうだけどね。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

  


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人口減少問題は深刻

 

こんにちは。

 

昨日、スポーツクラブの来年からのスケジュールが発表されました。

予想通りの悲しい結果でした。

電車に乗ってまでして通っていた店舗のX55のクラス2つは消滅。

徒歩圏にある店舗のX55は30分のクラスが夜にひとつだけになっていました。

もともと60分あるクラスを30分に短縮したとして、いったい誰がそんなクラスに参加したいと思うかしら。それも週にたったの一回で。

全部なくしてしまうと支障があるので残しているのだけかもしれないです。

 

 

X55はキツいので人気がないとか聞きますが、遠征していた店舗のクラスは人の集まりもかなり良く、いい感じで参加できていただけにとても残念です。

 

スタジオレッスンの時間帯もまた縮小されていました。

昼のレッスンは16時30分までやっていたのが15時30分で終了です。

ひとつひとつのレッスン時間も15分とか30分とかがやたらと多く、これはもう実質上の値上げだと思いました。

 

レッスンの種類を減らすのも、インストラクター削減のためなのかもしれません。

ボディパンプとボディバランスとボディコンバットの3つで済むならイントラさんもそんな数要らないでしょうし。(この3つはほぼ毎日やってます)

 

ほかの方のブログで拝見しましたが、いっそのことビデオレッスンにしてくれたらいいのにと思います。

生のインストラクターさんがいなくても私は全然かまいません。

家では激しい運動が出来ないからジムに通っているわけで、そういう、私みたいに黙々と運動したい人もいるのではないかと思うんですが。

 

それと同時に経営が大変なのもよくわかります。

 

今のスポクラを支えているのは年金生活に比較的余裕のある高齢の方々です。

彼らに照準を合わせないと経営もやっていけないのだと思います。

でも彼らもやがて通えない年齢が来るので、そうなるともうスポクラの経営は尻つぼみであまり明るい将来は見えないのかも。

 

特に郊外の店舗は厳しくなるのではないかしら。

私の通っている店舗は23区内ではあるものの、住宅街の立地なので、都心の店舗に比べるとプログラムの貧弱化が早く進んでいるように思います。

若い人向けのプログラムに参加したければ都心の店舗に行くしかないのです。

 

子ども相手のスイミングもレッスン費を値上げしないとそのうちやっていけなくなるかもしれないですね。

私の子どもたちが通っていたスイミングスクールも、何年か前に突然閉鎖されてなくなってしまいました。

 

飲食店の数がじわじわと減っていっているという話を聞きましたが、それも人口減少のせいだそうです。

確かに、うちの近所も、閉店したお店が5,6軒あるかな。

都心の繁華街でないと経営が成り立たなくなっているのですね。

 

こうやって経済がどんどんしぼんで行って、でも高齢者はどんどん増えていって、介護を必要とする人は増える一方なのに介護のなり手は減る一方で、日本は将来どうなってしまうのか、不安しか感じません。

 

少子化対策をしっかりしてこなかったツケが回ってきてるんでしょう。

私が保育園に子どもを入れようとしてまったくダメだった十数年前と事態はほとんど変わっていないようだし。

 

などとスポクラのレッスンスケジュール表を見ながら、人口減少問題の深刻さを改めて感じた昨日でした。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

  


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鬼の首を取られてはならない

 

こんにちは。

 

聞くだけで英会話が上達するといううたい文句で有名な英会話教材がありますよね。

ラジオで毎日のようにそのCMを耳にするのですが、夫はそのたびに「こんなんで上達するわけがないやろ!」と言います。

 

私も聞くだけで上達するわけがないと思っているので夫の意見にはすべて同意するのですが、夫はそれだけでは収まりきらず、私に向かってその教材のどこがどのように良くないのか、滔々と語り始めます。

 

おう...また始まったぜ...(-_-;)と、思いつつ、面倒なので相槌を打ちつつ右から左へと聞き流します。

 

ここで私が少しでも反論するようなそぶりを見せると、夫はまるで「鬼の首を取ったかのように」得意満面で怒涛の反撃を延々と繰り出してくるのです。

自分がいかに正しいかを大声でまくし立てるのでうるさくてかないません。

反撃の一言目は「だって」です。

よく子供が使う、「だって○○だから。。。」の「だって」です。

 

いい年をした大人が「だって」と言うのを、私は夫以外であまり耳にしたことがありません。

聞いていて恥ずかしいのでなるべく聞かなかったことにしています。

 

この、「だって」で始まる独りよがりな蘊蓄を聞きたくなければ、夫がなにか自分の考えを述べた時に「そうなの?」とか「そうは思わないけどな~」とか、「へっ?」などの返答をしないようにするしかありません。

 

夫は、自分の考えを誰かに言いたいだけなのです。しかもその考えというのは多くの人が思っていることで、そんな上から目線でまくしたてることでもないのですが。。。

 

というわけで、夫に「鬼に首を取らせないよう」日々気を付けている、というお話でした。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 


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記事のタイトルについて

 

こんにちは。

 

 記事のタイトルをつける時は、大げさにならないように気を付けています。

以前、ちょっと思わせぶりなタイトルを付けてPV数が跳ね上がったことがあり、これはおそらくタイトルにつられて見に来てくださった方が多かったのではないかと思い、大変恥ずかしく思ったからです。

 

それ以来、できるだけ記事の内容にふさわしく、平和で穏やかなタイトルにするよう努めております。

 

えっ、そう?って思われてるかもしれないなあ(;´・ω・)

 

タイトルで悪目立ちしたくないのです。

それでも決まらないときは結論をそのままタイトルに持ってきたりもしています。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 


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父への恨みつらみ

 

こんにちは。

 

おどろおどろしいタイトルなので引かれた方もおられるかと思いますが、ちょっと父の話をしたいと思います。

 

父は4年前に亡くなりましたが、私は父に対していまだに感謝と恨みが混ざり合った複雑な感情を持っています。

 

父は昭和ヒトケタ生まれ。典型的な昭和のおっさんでした。

昭和のおっさんの代表はサザエさんの父、波平だと思います。波平をもっと粘着質にしたのがうちの父です。

昭和のおっさんたちは酒が何よりの楽しみ、という人が多かったんじゃないでしょうか。

今のように趣味や楽しみや時間潰しの方法が沢山あったわけではないので。

 

土曜日も半ドンでしたが出勤していて、お休みは日曜日だけでした。

その日曜日はゴルフの打ちっぱなしか、居間で煙草をくゆらせながらゴロ寝でテレビ。

家族サービスもほぼしないしもちろん家事もしません。

 

ひとつの会社に定年まで勤めあげ、その後は家で趣味の書道をしながら好きな時に酒を飲んで好きな時に寝る、という生活を30年以上送りました。

 

私を虐待することもなく育て上げてくれたことには感謝していますが、それは子どもを儲けた親として当然のことだと思うので、それ以上に感謝することもありません。

私も子どもたちを育てているけど、それは親として当然のことをしたまでであって、それ以上のことではないと思っています。

 

大酒飲みで酔っ払ってさらした醜態は私も何度か目にしています。

自分に甘い人だなと子どもの頃から感じていました。

 

父を恨んでいる理由は、母の寿命を縮めた原因は父だと私は信じているからです。

 

父はお酒もすごかったですが、昭和のおっさんに典型的なヘビースモーカーでした。

母は70過ぎのとき、突然肺炎を患い、一時は人工呼吸器をつけるほど衰弱して、もうダメかと思う時もありました。

なんとか一命をとりとめて退院することも出来たのですが、結局それが原因で入退院を繰り返し、すっかり弱ってしまって平均寿命まで生きることが出来ませんでした。

 

母の病気は間質性肺炎という難病でした。

タバコが原因と決めつけることはできないでしょうが、結婚して以来ずっと何十年も、母は受動喫煙を強いられていました。

 

退院して家に戻った時も、父は煙草をそれまでと変わりなく吸い続けました。それどころか母を以前の健康な時の母と同じようにこき使いました。

 

我慢強い母がついに悲鳴を上げて遠方に住んでいた私に助けを求め、私も初めて事の重大さに気づき、兄に連絡を取って、二人を老人施設の別々の部屋に入居させたのです。

 

母はやっと、父と離れることが出来ましたが時すでに遅しでした。

酒浸りでまともに歩けなくなった父は平均寿命以上に生き延びて亡くなりましたが、そのわずか1年後に母も亡くなりました。

 

母は酒もたばこもせず、健康に気を使って運動教室やスイミングにも通っていて、肺炎になるまでは重病を患うこともなかったので、もっと長生きするものだと私は思っていました。

 

それだけに、父が母に与え続けた受動喫煙とストレスと数々の仕打ちを思い出すたびに暗い気持ちになり、母を救えなかった自分にふがいなさを感じ、父への恨みが甦ってくるのです。

 

ここには書けませんがもっとひどいことを父はしていました。

父は母のことを父なりに想っていたようですが、子供じみた自分勝手な愛着に過ぎなかったのではないかと思っています。

死ぬまでそれがわからなかったのですから、頭の中お花畑、つまり馬鹿は死んでも治らないということですね。

 

親からのほぼ強制的なお見合いで、母は父との結婚も素直に応じたのだと思います。

もっと良い人と一緒になっていたら、母の一生はもっと幸せだったにちがいないと思っています。

 

もう死んだのだから恨んでもしょうがないしそういうのが子どもっぽいのもわかるのですが、やはり父への恨みはなかなか消えてくれなさそうです。

 

読んでいただいてありがとうございました。暗い話ですみません(^^;)

 

 


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