初運動の日
こんにちは。
年末年始、珍しく風邪を引いてしまってろくに更新もできませんでした。
新年のご挨拶もせず失礼いたしました。
こんな私ですが本年もどうぞよろしくお願いいたします。
そんなわけで3週間近く運動もできなかったのですが、体調も良くなってきたので、今年初めてのジムに行ってきました。
久しぶりだったので欲張って4レッスンも受けてしまいました。
とは言っても30分のクラス3つと40分のクラス一つなので、たいした運動量ではありません(^^;)
最初のX55は、午前1番のクラスにあまり人気のないX55ということで、5人しか参加者はいませんでした。少ない。。。
30分でも1月からの新プロをちゃんとやってくれていました。
なかなかキツいブロックもありました(^^;)
でも30分でこの参加人数だと次のスケジュール改編でなくなりそうだな。。。(;´Д`)
次のクラスはボディパンプの30分。
パンプも30分じゃあまり筋トレした気分にはなれませんでした。
腹筋要らないからランチのパートをやってほしかったな。
その次はボディバランス30分。
これも1月からの新プロでした。
ボディバランスは先生によって雰囲気がかなり変わります。
今日のイントラさんは男の人だったので、うーん、ちょっと違うかな、って感じでした。
30分だからしょうがないけど。
その次は初めて参加するステップのクラス。
ステップはジムに通い始めた頃、最初に好きになった運動です。
けっこうハマりました。
ステップ台を登ったり降りたりするのでエアロビより多少複雑な感じがとにかく楽しかったのです。
ここ何年もレスミルズやラディカルばかりやっていたので、ほんとに久しぶりで、あの同じテンポで淡々と進む音楽のちょっと昔風な感じも懐かしかったです。(ふかわりょうの昔のコントみたいな感じ)
レスミルズもラディカルもBGMがやたらとカッコいいので比べるのは申し訳ない感じですが。
でもビギナークラスでもステップはそこそこ運動量もありました。
4レッスン参加して、やっぱり一番効率よく体を鍛えられるのはX55だと思いました。
有酸素しながら下半身ガッツリ鍛えられるのはさすがです。
テンポも早いから楽しいしね。。。
でも人気がないので青息吐息ですよ。
なんとか生きながらえてほしいものです。
そんなこんなでジムを出たらもう2時前になっていたのでカフェでベーグルサンドを食べて買い物もして帰宅しました。
空きっ腹だったので実に美味しかったです(^^)
帰宅したらちょっと咳が出てきて、ちょっと欲張りすぎたかなと反省しております。無理はいけませんね。
読んでいただいてありがとうございました。
1年6組のTくん
こんにちは。
今日は、私が小学1年生の時の、忘れられない経験をお話をしたいと思います。
小学校入学式の翌日、私は緊張しつつも新しい環境にわくわくしながら自分の教室に入っていきました。
よく覚えてはいないのですが、おそらく新しいクラスメイトの女の子たちとおしゃべりをしていた時だと思います。
突然、後ろから誰かに髪飾りを触られました。
びっくりして振り返ると、1年生にしては大柄な男の子がなにかブツブツ言いながら、ニコニコ嬉しそうに立っています。
私を含め女の子たちは訳がわからず怖くなって逃げました。
すると、その男の子は追ってきます。
女の子たちはパニックになって教室内を逃げ回りました。
そこへ、担任の女性教諭が入って来て、子どもたちを落ち着かせ、どのように説明したのか覚えていないのですが、おそらく、その風変りな男の子をみんなに紹介したのだと思います。
私たちは先生の説明に納得して、おとなしく席に着いたのでした。
Tくんは、他人とコミュニケーションを取るのがかなり難しそうでした。
親には自閉症という説明があったのかもしれません。
何か節をつけて同じことをずっとつぶやいたり、または歌を歌ったりしていて、じっとすることが難しいのか、体はつねに左右に揺れていました。
教室でもおとなしく机につくことは難しいようで、教室内を歩き回り、時には教室から脱走して保健室のベッドで遊んだりしていました。
もちろん授業内容も理解しているとは思われませんでした。
そのうち保健室への脱走が頻繁になって先生も困ったのか、ある日学校に行くと、教室の後ろに保健室にあるベッドがデンと置かれています。
こうすれば、Tくんはいつでも大好きなベッドの上でゴロゴロでき、保健室へ脱走する回数も減るのではないかという先生のアイデアでした。
これが功を奏し、Tくんは教室から抜け出すこともなくなりました。
私たちクラスメイトは次第にTくんに慣れ、彼は人気者となっていきました。
Tくんはたいていニコニコ機嫌良くしていて、上機嫌なときには「山寺の和尚さん」の歌を口ずさんだりして、彼の周りにはハッピーなオーラが漂っていました。
先生にも、クラスのお友達にも大切にされ、守られていました。
髪飾りをずっと触られ続けても、もう嫌がる女の子はいません。
彼が授業中に教室内を歩き回っても、ベッドでゴロゴロし始めても他の生徒たちは特に気にすることもなく、授業を聞いていました。
彼が何をしようと、授業は普通に成立していました。
今考えても、そのときの担任の先生の力量には驚きます。
自閉症児を受け入れつつ他の生徒全員に目を配りながら授業を進めるなんてなかなか出来るものではありません。
学生主任も任されていて、一目置かれていた先生だったのだと思います。
保護者からの信頼も厚く、私の母も、その先生を心から尊敬しているようでした。
今だったら、授業中に歩き回ったりする児童がいたら、間違いなく保護者から苦情が来ますよね。
まして、教室の後ろにベッドを置くなんて、考えられないでしょう。
おおらかなあの時代と先生の度量の大きさから出来たことなのだと思います。
母から聞いた話では、Tくんは小学校に上がる少し前までは普通に発育していたそうです。
それが、どういうわけか次第に知能が退行してゆき、ついにコミュニケーションも取り辛い状態になったそうです。
調べてみると、たしかにそういう症状が出る病気(?)というか障害が紹介されていました。
順調に発達していた子どもが、ある日を境に赤ちゃんのような状態に戻って行くなんて、親にとって恐ろしいことですよね。
原因もわからないのです。
彼が普通学級に入れられたのは、おそらく、また元のようになってほしいというお母さんの強い願いがあったからだと思います。
Tくんとは意思疎通ができないので、どのように感じていたのかはわかりませんが、いつもニコニコして楽しそうではありました。
これはあくまでも私の印象ですが、そのクラスも暖かい雰囲気に包まれていて、その1年間は私自身もあまり嫌な思い出がありません。
一番弱い立場にいる人が幸せで楽しそうにしていれば、周りは自然と幸せになっていく…ということなのかな?
Tくんのことは忘れられないし、あのほっこりとした6組のことも忘れられません。それを育んでくれた先生への感謝の気持ちも。
読んでいただいてありがとうございました。
ドタキャンの恐怖
こんにちは。
突然ですが、ドタキャンされたことありますか?
私はよくあります。それもここ数年です。
実は、数日前に、ある人(女性)と、あるショーを見に行くことになっていて、その後ちょっとお茶をする予定にしていました。
ショーを誘ったのは私で、お茶をしようと言ったのは彼女です。
以前からご飯食べに行きたいと彼女が言っていたので、ショーで会えるからちょうどいいと思っていました。
で、時間が遅いのでお茶はできないだろうからと、とりあえず私のほうで居酒屋さんを予約しました。
彼女はそれを喜んでいるようでした。
実は、彼女、よくドタキャンをする人なのです。
なので、今回もまたやられるかなとけっこうこわごわ様子を見ていたのですが、そのショーのチケットを送ってほしいと言われ、ショーの後お茶したいとも言って来たので、今回は大丈夫かなと思っていました。
それが、前の晩になって「仕事が忙しくて行けそうにない。居酒屋さんはキャンセルしてください。チケットは譲れそうにないから一人で見てもらうことになるかも」というメールが来たのです。
まさか前日の夜にキャンセルされるとは思っていなかったので、相当ショックを受けました。
しかもチケットは彼女が持っているので、私がほかの人を誘うことも出来ません。
もっと早く言ってくれればなんとかなったかもしれないに、それはないよ、と言いたいところですが、「残念、またランチでもしようね」と、穏便にお返事しておきました。
仕事が忙しいというのはもっともな理由です。
でも、彼女、その前週もイベントを入れていて、それにはしっかりと行っているのです。仕事が忙しいのはその間に仕事が溜まってしまったからでしょう。
しかも、翌週にもイベントがあって、そのころには仕事も落ち着くとかなんとか言っていました。
ドタキャンされると凹みます。
彼女の中で私の優先順位があまり高くない、ということがなんとなくわかってしまうからです。
もちろん、彼女には悪意などないこともわかっているのですが。
私はドタキャンって、ほとんどした記憶がありません。
されたら嫌だろうなと思うからです。
多少体調が悪くても忙しくても約束は守るようにします。
以前、ニューヨークに住んでいたとき、英語学校で知り合った日本人8人くらいと仲良くなって、そのうちの一人のおうちに遊びに行くことになりました。
彼女はマンハッタンから引っ越して、郊外のアパートに住んでいました。
それが、当日の朝になって一人が体調が悪いので行けなくなったと連絡が入り、そうしたら私も私もみたいな感じで一気に人数が減ってしまったのです。
おそらく、郊外までわざわざ会いに行くのが面倒になったんでしょう。
結局、私ともう一人の人と二人で行くことになりました。
その人も私も、一度決まった予定を変更したくないタイプの人間だったので残ったのですが。。。
招待してくれた人は、手作りのお菓子とかいろいろ用意していて、きっと大勢で来てくれることを楽しみにしていたのだろうと思います。
なんだか気の毒で心が痛みました。
最初にキャンセルした人はともかく、それに便乗するようにキャンセルする人たちにはいやな感じがしました。
でも、世の中、そんなに約束事を大切に思わない人もけっこういるんですね。
私みたいに捉えるほうが変わってるのかもしれません。
読んでいただいてありがとうございました。
長生きしたくない
こんにちは。
昨日の夜、夫が私はたぶん95歳くらいまで生きる、みたいなことを言い出しました。
それは私の今の健康状態とか経済状況とかを考えた、私に特化した事なのかと思ったら、ただ単に今の私の年齢の女性があとどのくらい生きるかというグラフを見て計算しただけだということがわかってホッとしました。
なんかイヤミでも言われるのかと思って身構えちゃいましたよ。習慣って恐ろしいですね(^^;)
95歳というと、あと40年くらいです。
ちょっと長すぎない?
私にはもう介護しなければならない親もいないし、子どもたちが巣立つ日も近づいていて、そうなると私のやることはネコの介護くらいしかないので、恐ろしく時間が余りそうなのです。
お友達がたくさんいて、ランチや旅行をバンバン楽しめるリア充ばあさんならいいのですが、あいにく友達はいないし、かろうじてたまに集まるママ友仲間はいますが、この先どうなるかわかりません。
子どもたちは家を出たらおそらく戻ってくることはないでしょうし、今までのことを考えれば疎遠になって行くと思います。
兄弟も親戚も遠方でほとんど行き来はないですし、残るのは夫だけです。
子どもや孫に囲まれた生活にはそれほど憧れはありません。私の性格から考えると、たぶん、打ち解けるのは難しいと思うので、それなら離れて暮らしたほうがずっといいと思えるからです。
本当に体が衰えて、一人で暮らすのが難しいほどになれば、自分のことで精一杯で寂しいだのなんだの考える余裕もなくなってくると思いますが、そうなるまでの体が元気な間は寂しさを紛らわせるために何か時間つぶしをしないといけないわけです。
誰からも必要とされてないのに。
そんな日々が何十年も続くのかと思うとそれはけっこう辛いかなあと思うのです。
最近は「長生きのリスク」とか「がんの心配より長生きの心配をしろ」とか言われているので、私のよう長生きしたくないと思っている人はきっと多いでしょう。
今の生活に特に不満があるわけではないのです。
仕事の量も時間もちょうど良いし、健康だし、運動もしているし、趣味の方もそれなりに充実しています。
でもこの自己完結してる感じがなんとも心もとない。
周りの知人たちは、一人ではなく、親や姉妹やお友達と多くの時間を楽しんでいるのと比べると、あまりにも人と交わる時間が少なすぎるのが不安を煽るのです。
人と比べてもしょうがないのはわかっているのですが。
夫は、先のことなんか心配してもしょうがない、と一気に片付けてしまいました。
そりゃそうだけどね。
読んでいただいてありがとうございました。
人口減少問題は深刻
こんにちは。
昨日、スポーツクラブの来年からのスケジュールが発表されました。
予想通りの悲しい結果でした。
電車に乗ってまでして通っていた店舗のX55のクラス2つは消滅。
徒歩圏にある店舗のX55は30分のクラスが夜にひとつだけになっていました。
もともと60分あるクラスを30分に短縮したとして、いったい誰がそんなクラスに参加したいと思うかしら。それも週にたったの一回で。
全部なくしてしまうと支障があるので残しているのだけかもしれないです。
X55はキツいので人気がないとか聞きますが、遠征していた店舗のクラスは人の集まりもかなり良く、いい感じで参加できていただけにとても残念です。
スタジオレッスンの時間帯もまた縮小されていました。
昼のレッスンは16時30分までやっていたのが15時30分で終了です。
ひとつひとつのレッスン時間も15分とか30分とかがやたらと多く、これはもう実質上の値上げだと思いました。
レッスンの種類を減らすのも、インストラクター削減のためなのかもしれません。
ボディパンプとボディバランスとボディコンバットの3つで済むならイントラさんもそんな数要らないでしょうし。(この3つはほぼ毎日やってます)
ほかの方のブログで拝見しましたが、いっそのことビデオレッスンにしてくれたらいいのにと思います。
生のインストラクターさんがいなくても私は全然かまいません。
家では激しい運動が出来ないからジムに通っているわけで、そういう、私みたいに黙々と運動したい人もいるのではないかと思うんですが。
それと同時に経営が大変なのもよくわかります。
今のスポクラを支えているのは年金生活に比較的余裕のある高齢の方々です。
彼らに照準を合わせないと経営もやっていけないのだと思います。
でも彼らもやがて通えない年齢が来るので、そうなるともうスポクラの経営は尻つぼみであまり明るい将来は見えないのかも。
特に郊外の店舗は厳しくなるのではないかしら。
私の通っている店舗は23区内ではあるものの、住宅街の立地なので、都心の店舗に比べるとプログラムの貧弱化が早く進んでいるように思います。
若い人向けのプログラムに参加したければ都心の店舗に行くしかないのです。
子ども相手のスイミングもレッスン費を値上げしないとそのうちやっていけなくなるかもしれないですね。
私の子どもたちが通っていたスイミングスクールも、何年か前に突然閉鎖されてなくなってしまいました。
飲食店の数がじわじわと減っていっているという話を聞きましたが、それも人口減少のせいだそうです。
確かに、うちの近所も、閉店したお店が5,6軒あるかな。
都心の繁華街でないと経営が成り立たなくなっているのですね。
こうやって経済がどんどんしぼんで行って、でも高齢者はどんどん増えていって、介護を必要とする人は増える一方なのに介護のなり手は減る一方で、日本は将来どうなってしまうのか、不安しか感じません。
少子化対策をしっかりしてこなかったツケが回ってきてるんでしょう。
私が保育園に子どもを入れようとしてまったくダメだった十数年前と事態はほとんど変わっていないようだし。
などとスポクラのレッスンスケジュール表を見ながら、人口減少問題の深刻さを改めて感じた昨日でした。
読んでいただいてありがとうございました。
鬼の首を取られてはならない
こんにちは。
聞くだけで英会話が上達するといううたい文句で有名な英会話教材がありますよね。
ラジオで毎日のようにそのCMを耳にするのですが、夫はそのたびに「こんなんで上達するわけがないやろ!」と言います。
私も聞くだけで上達するわけがないと思っているので夫の意見にはすべて同意するのですが、夫はそれだけでは収まりきらず、私に向かってその教材のどこがどのように良くないのか、滔々と語り始めます。
おう...また始まったぜ...(-_-;)と、思いつつ、面倒なので相槌を打ちつつ右から左へと聞き流します。
ここで私が少しでも反論するようなそぶりを見せると、夫はまるで「鬼の首を取ったかのように」得意満面で怒涛の反撃を延々と繰り出してくるのです。
自分がいかに正しいかを大声でまくし立てるのでうるさくてかないません。
反撃の一言目は「だって」です。
よく子供が使う、「だって○○だから。。。」の「だって」です。
いい年をした大人が「だって」と言うのを、私は夫以外であまり耳にしたことがありません。
聞いていて恥ずかしいのでなるべく聞かなかったことにしています。
この、「だって」で始まる独りよがりな蘊蓄を聞きたくなければ、夫がなにか自分の考えを述べた時に「そうなの?」とか「そうは思わないけどな~」とか、「へっ?」などの返答をしないようにするしかありません。
夫は、自分の考えを誰かに言いたいだけなのです。しかもその考えというのは多くの人が思っていることで、そんな上から目線でまくしたてることでもないのですが。。。
というわけで、夫に「鬼に首を取らせないよう」日々気を付けている、というお話でした。
読んでいただいてありがとうございました。
記事のタイトルについて
こんにちは。
記事のタイトルをつける時は、大げさにならないように気を付けています。
以前、ちょっと思わせぶりなタイトルを付けてPV数が跳ね上がったことがあり、これはおそらくタイトルにつられて見に来てくださった方が多かったのではないかと思い、大変恥ずかしく思ったからです。
それ以来、できるだけ記事の内容にふさわしく、平和で穏やかなタイトルにするよう努めております。
えっ、そう?って思われてるかもしれないなあ(;´・ω・)
タイトルで悪目立ちしたくないのです。
それでも決まらないときは結論をそのままタイトルに持ってきたりもしています。
読んでいただいてありがとうございました。
父への恨みつらみ
こんにちは。
おどろおどろしいタイトルなので引かれた方もおられるかと思いますが、ちょっと父の話をしたいと思います。
父は4年前に亡くなりましたが、私は父に対していまだに感謝と恨みが混ざり合った複雑な感情を持っています。
父は昭和ヒトケタ生まれ。典型的な昭和のおっさんでした。
昭和のおっさんの代表はサザエさんの父、波平だと思います。波平をもっと粘着質にしたのがうちの父です。
昭和のおっさんたちは酒が何よりの楽しみ、という人が多かったんじゃないでしょうか。
今のように趣味や楽しみや時間潰しの方法が沢山あったわけではないので。
土曜日も半ドンでしたが出勤していて、お休みは日曜日だけでした。
その日曜日はゴルフの打ちっぱなしか、居間で煙草をくゆらせながらゴロ寝でテレビ。
家族サービスもほぼしないしもちろん家事もしません。
ひとつの会社に定年まで勤めあげ、その後は家で趣味の書道をしながら好きな時に酒を飲んで好きな時に寝る、という生活を30年以上送りました。
私を虐待することもなく育て上げてくれたことには感謝していますが、それは子どもを儲けた親として当然のことだと思うので、それ以上に感謝することもありません。
私も子どもたちを育てているけど、それは親として当然のことをしたまでであって、それ以上のことではないと思っています。
大酒飲みで酔っ払ってさらした醜態は私も何度か目にしています。
自分に甘い人だなと子どもの頃から感じていました。
父を恨んでいる理由は、母の寿命を縮めた原因は父だと私は信じているからです。
父はお酒もすごかったですが、昭和のおっさんに典型的なヘビースモーカーでした。
母は70過ぎのとき、突然肺炎を患い、一時は人工呼吸器をつけるほど衰弱して、もうダメかと思う時もありました。
なんとか一命をとりとめて退院することも出来たのですが、結局それが原因で入退院を繰り返し、すっかり弱ってしまって平均寿命まで生きることが出来ませんでした。
母の病気は間質性肺炎という難病でした。
タバコが原因と決めつけることはできないでしょうが、結婚して以来ずっと何十年も、母は受動喫煙を強いられていました。
退院して家に戻った時も、父は煙草をそれまでと変わりなく吸い続けました。それどころか母を以前の健康な時の母と同じようにこき使いました。
我慢強い母がついに悲鳴を上げて遠方に住んでいた私に助けを求め、私も初めて事の重大さに気づき、兄に連絡を取って、二人を老人施設の別々の部屋に入居させたのです。
母はやっと、父と離れることが出来ましたが時すでに遅しでした。
酒浸りでまともに歩けなくなった父は平均寿命以上に生き延びて亡くなりましたが、そのわずか1年後に母も亡くなりました。
母は酒もたばこもせず、健康に気を使って運動教室やスイミングにも通っていて、肺炎になるまでは重病を患うこともなかったので、もっと長生きするものだと私は思っていました。
それだけに、父が母に与え続けた受動喫煙とストレスと数々の仕打ちを思い出すたびに暗い気持ちになり、母を救えなかった自分にふがいなさを感じ、父への恨みが甦ってくるのです。
ここには書けませんがもっとひどいことを父はしていました。
父は母のことを父なりに想っていたようですが、子供じみた自分勝手な愛着に過ぎなかったのではないかと思っています。
死ぬまでそれがわからなかったのですから、頭の中お花畑、つまり馬鹿は死んでも治らないということですね。
親からのほぼ強制的なお見合いで、母は父との結婚も素直に応じたのだと思います。
もっと良い人と一緒になっていたら、母の一生はもっと幸せだったにちがいないと思っています。
もう死んだのだから恨んでもしょうがないしそういうのが子どもっぽいのもわかるのですが、やはり父への恨みはなかなか消えてくれなさそうです。
読んでいただいてありがとうございました。暗い話ですみません(^^;)
夫の話は「お預かりセンター」に。
こんにちは。
更新しなさ過ぎてブログが死にそうになっています。私は元気ですが(^^;)
もう何でもいいから記事にしちゃえってことで、書きます。
私の夫は、このブログを読まれている方はよくご存知だと思いますが、大変な気分屋です。
上機嫌と不機嫌の差が激しく間隔も短いので周りは振り回されて大変です。
言うこともコロコロ変わります。
先日もこんなことがありました。
娘のことで、私との間でちょっとした言い争いになりました。
私はいつものことなので夫をあまり興奮させないよう(いったん興奮すると手が付けられなくなるので)とりあえず夫の言うことに賛成しておきました。
で、その話題が終わったので、私は以前夫が行こうと言っていた映画祭の話を始めたのです。いろいろ調べて、観たいものがあるのでどうするかと尋ねたら、
「今は映画を観るような気分じゃないからもういい」
と、言うのです。
あーまたかよ。。。です。
虫の居所が悪いと、勝手に予定をキャンセルするのです。
自分が行きたいと言って、それで私がいろいろ調べたのになんだよ、とムカっとしましたが、それは抑えて「あ、そう、ならいいわ」とさっさと引っ込めました。
こんなことは日常茶飯事なので、子どもたちも学習して、夫の言うことは全く信用しなくなりました。
機嫌ひとつですぐに予定が変わるからです。
なので、夫が子どもたちが喜びそうな提案をしても、子どもたちの反応は至って冷やかです。
期待すると馬鹿を見るのがよくわかっているので。
予定が変わるだけでなく、考え方もコロコロ変わります。
ブレブレです。
そのくせ「男に二言はない」とかぬかしよります。
そういうわけで、私は、夫の言うことはいったん私の頭の中の「お預かりセンター」に預かってもらうことにしています。
保留にして様子を見るんですね。
自分の精神の安定とエネルギーの無駄遣いを防ぐためです。
その映画祭の話ですが、2、3日経って夫が上機嫌でペラペラしゃべっているとき
「そういえばあの時の映画祭のチケットはどうなったの?」
と、聞いてきました。
はあ?何をほざいとるねんコイツ。。。(-_-メ)
「映画祭のチケット?もう売り切れてるよ。映画祭もほとんど終わってるし。行きたかったのなら取っておけばよかったのに」
「いや、あの時はあんな状況だったから…」
まだチケットはありましたが、腹が立ったので売り切れたと言っておきました。
で、「あんな状況」て、何ですのん。
悪く解釈すれば、私のせいで気分が悪くなった、だから映画なんか行ってやるか、という私への腹いせだったのかもしれませんね。
夫は自分の支離滅裂ぶりにはもちろん気が付いていません。
彼の中では筋が通っているのでしょう。
頭の中にはお花がいっぱい咲いているのでしょう。
読んでいただいてありがとうございました。
私は、自分がされたようにしか子どもを育てることができない。
こんにちは。
子育て、難しいですよね。
私も毎日いろいろ考えています。
夫と言い合いになる原因はほぼ子どものことです。
子どもが巣立って、この家から存在がなくなってしまえば、そういう夫婦間のいざこざも減ると思いますが、話のネタもなくなりそう(笑)
私は子どもたちにあまり手をかけて育てていません。
それは、以前記事にしたと思いますが、私自身がほったらかしで育てられたので、子どもたちにどうやって手をかければいいのか、どの程度手をかければいいのかがわからないからです。
たとえば、小学生のころ、子どもたちが忘れ物をしても学校に届けることはほぼしませんでした。
忘れたんだからしょうがない、なんとか自分でやりくりするしかないでしょ、という考えです。
私も何か忘れ物をしても、親が学校まで届けてくれた記憶はほとんどないのです。
でも、ある時、テレビかラジオかなんかで、子どもをあまり突き放して育てるのはよくない、人に親切にすることを学ぶ機会を奪ってしまうから、という話を耳にして、それはそうかもしれないと思いました。
親が他人に優しく接したり、親切にしているのを見て、子どもは自然とそういう振る舞いができるようになるのでしょう。
しまった、私の子育て、間違えてたわ~と、かなり凹みました。
私は子どもたちに冷たく接していたつもりはなくても、子どもたちは冷たい人だと思っていたのかもしれません。
でもそうやって何か外からの情報が入らない限り、親はつい、無意識に自分がされたように子どもに接してしまいますよね。
それしか知らないのですから。
私の兄夫婦も子どもが二人いますが、あまり子育てに熱心な感じはしませんでした。
高校までは公立、大学は国公立は手が届かなかったので私立、お稽古事や塾は本人が希望すれば行かせていたようですが親のほうから熱心にかかわることはほぼなかったようです。
それでも二人とも大学を卒業してきちんと就職しているので問題はなさそうです。
我が家はまだ二人とも親の脛をかじっている状態で、これからどうなるか全くわかりません。
ちゃんと巣立ってくれればいいのですが。
二人とも中学から私立に入れたのですが、そこで知り合ったお母さんたちの子どもへのひたむきな態度にはびっくりしました。
子どもの勉強の状況や授業の進み具合、先生の評判など、ほぼすべてを把握しているお母さんもいて、雑は自分とあまりにも違っていました。
特に、娘の学校は熱心なお母さんが多かったです。
一人っ子さんも多かったので、なおさらそのお嬢さんにかかりっきりになってしまうんでしょう。
そういうお母さんたちを見て私も見習わねばと一瞬は思うのですが、できなかったです。
そのうち、子どもにも当てにされないようになってました。
見放されてたのかも。
ただ、息子の周りの、大学入学後につまづいてしまった同級生らを見ていると、ほぼ全員が過保護気味に育てられているのには気がつきました。
男の子に限って言えば、手をかけすぎるのは良くないってことなんでしょうか。
まあ、うちの愚息もまだちゃんと卒業できるかどうかわかりませんから、お前が言うなって言われそう(笑)
読んでいただいてありがとうございました。
こんなにいいお天気だけど引きこもり
こんにちは。
秋の日は釣瓶落としといいまして、今午後2時ですが、もう日が傾いて夕方の気配が漂っています。
お出かけ日和ですが、今日は家に籠っています。
一昨日は好きなラジオ局のお祭りが東京タワーの近くの増上寺で催されていたのでそちらに行ってきました。
大好きなアナウンサーさん目当てで(私と同い年の男性です)。
グッズとかも色々買い込んで、満足して帰ってきました。
ラジオファンの人たちでけっこうな人出でしたが、中年、もしくは高齢の男性が目につきました。
やっぱりラジオって男性向きなのかしら。
私の周りにAMラジオファンの女性は皆無です。
やはり私は中身おっさんなんだなと実感しました。
午後からはジムに行って調子に乗って3レッスン受けてきました。
X55(筋トレ+有酸素)→ボディパンプ(筋トレばっか)→ストレッチの3つです。
けっこうきつくて今体中が筋肉痛です。
筋肉は休ませないと育たないので今日はジムもお休みします。
そんなこんなで引き籠る日曜日です。
今日は賞味期限の過ぎた生クリームをどうしようかと思い、スポンジケーキを焼いてそれに付けて食べればいいかと思い、10年以上ぶりでスポンジケーキを焼いてみました。
ネットで作り方を調べたら、今は両立て法が一般的なんですね。
昔私がやってたのは卵の黄身と白身を分けて泡立てる別立て法でした。
で、焼いてみましたが、見た目はふっくらと膨らんでいて美味しそうに見えるのですが、食べてみたらボソボソしていて美味しくないのです。
そういえば薄力粉を1回しかふるいにかけなかったなあ。。。
昔は3回くらいふるっていなかったっけ?
丁寧に作らないとこういう結果になるのねと納得した次第です。
今度作るときはもっと丁寧に。。。ではなく、失敗のほとんどないパウンドケーキにしようと思いました!
どうしてもスポンジケーキが欲しいときは、スーパーで出来上がったのを買うことにします(^^;)
ズボラでしょ?
読んでいただいてありがとうございました。
人の立場を理解するのは難しい
こんにちは。
台風一過の青空で息子のベッドのシーツを洗濯したいのですが起きてこないのでできません。まあ、いいか。。。(^^;
もうずいぶん前になりますが、下の子が生まれてまだ1カ月くらいの頃、夫の会社の後輩夫婦が家に遊びに来たことがありました。
産後1か月というと、出産を経験された方ならおわかりだと思いますが、まだ授乳時間も不安定で睡眠時間もあまり確保できていない状態です。お母さんの体も元通りにはなっていなくてけっこう大変な時期です。
それでもせっかく来てくれるのだからと近所のレストランで一緒にご飯を食べました。
レストランでは赤ちゃんは夫に抱っこひもで抱えてもらい、食事をしました。
その後家でお茶をしました。
夜遅い時間になっていたので子どもたちをお風呂に入れたいし、出来れば早めに帰ってもらいたかったのですが、後輩夫婦にはまだ子どももいなくて、そういう産後の大変さは全く分かっていない様子で、なかなか帰ってくれなくて正直疲れました。
後輩夫婦は礼儀正しくとても好感の持てる良い人たちです。
それでも新生児の育児の大変さは体験していないのでわからないわけで、夫も私も特に彼らを責める気もなく、まあしょうがないかで済ませていました。
それから1年くらいして彼らもお子さんを儲け、まだ生まれて間もない可愛らしい赤ちゃんの写真入りの年賀状が届きました。
そこには「育児がこんなに大変だとは思いませんでした。いつぞやはまだ赤ちゃんが1カ月の頃にお邪魔をして本当に申し訳ありませんでした」という文が添えられていたのです。
私はすっかりそのことを忘れていたので最初何のことだかわからなかったのですが、あ、と思い出し改めて読み返し、すっかり感動してしまいました。
自分が間違ったことをしたと気が付いても、なかなか素直に謝ることって出来ないですよね。
時間がたっていればなおさら、なかったことにしてもらいたいと思うはず。
それを、わざわざ年賀状で謝ってくれたのです。
なんて素直な人なんだろうとちょっと感激しました。
世の中にはこんな人もいるのねと。
と、同時に人の立場を想像力だけで理解するのは本当に大変だと実感しました。
寿命を全うして親が死ぬというような、それほど不幸に見えないような出来事でも、実際に親が死んでみないとその気持ちを理解するのは難しいでしょう。
まして、重い病気にかかるとか、子どもを無くすとか、災害に見舞われるとか、運が良ければ体験しないで済むような出来事に関しては、当事者の気持ちを理解するなんてほぼ不可能だと思います。
ついつい自分の基準が世の中の基準だと思ってしまいがちですがやはり謙虚でないといけないなと改めて思った出来事でした。
そんな殊勝なことを考えつつ、その年賀状を見ていると、初めての赤ちゃんの育児に右往左往している後輩夫婦の顔が浮かんできてちょっとニタニタしてしまいました(^^)。
今も年賀状だけやり取りしていますが、素敵な家庭を築かれていることと思います。うちのようなポンコツ夫婦と違って。羨まし~。
図書館で本を借りるということ
こんにちは。
私はほとんど図書館は利用しないのですが、私の周りの人で図書館を使っている人は多いです。
私が図書館を使わないのは(子どもたちが小さい頃はよく行ってました)新品の本が好きなのと読みたい本をすぐ手に入れたいからです。
図書館だと読みたい本は見当たらないことが多く(貸し出し中なのかもともとないのか)、じゃあ買うか、みたいになってしまいます。
手垢が付いていたり書き込みがあったりするのもあまり好きではないので。
それと、これは大人になってから感じるようになったのですが、借りて読んでしまうと書いた人には一銭もお金が入らないというのはなんだかおかしいんじゃないかと思うようになりまして。
中にはあ~失敗した、買うんじゃなかった的な本もあるわけですが、本当に自分の好きな作家さんとか、いろんなところで良い本だという評判を得ている本は買って読みたいのです。
正確な統計なんて全くわかりませんが、私の周りの図書館愛好家は経済的にも時間的にも余裕のある専業主婦が多いような気がします。
彼女たちにとって本なんてそんな高いものでもないのだから、お金出して買えばいいのにってひそかに思っています。
その本で情報を得たり、充実した時間を過ごすことが出来たのなら、それを書いてくれた人に感謝の気持ちとともにに報酬も差し上げたいと。
以前はラインナップに不服があり手を出さなかったのですが、いざ使ってみると字の大きさや明るさを自分好みにアレンジできるので、老眼が進みつつある私には大変使いやすいことがわかり、すっかりハマってしまいました。
欲しい本が電子書籍化されてないこともありますが、リクエストを送って電子書籍化されるのを待つか、紙の本を買うかしています。
電子書籍に至っては、物ではなくまさに情報そのものにお金を払っているわけですから、自分が何に対してお金を出しているのかを明確に意識することになります。
なんだか偉そうに書いてしまいました。
読んでいただいてありがとうございました。
元気な高齢者は自分を高齢者とは思っていない
こんにちは。
ブログの更新が週末しかできなくなってきました。
ブログを始めた頃は仕事をしていなかったので、平日も時間がたっぷりあったのです。
今は午前中だけとはいえ週5でパートのお仕事、3カ月ほどお休みしていたスポーツクラブ通いも復活したため、パートとジムと家事でほぼ一日が終了してしまいます。
毎日決まった時間にちょっと短めで軽めでおしゃれな感じの記事を上げるというのが理想ですが、文章書くのに時間のかかる私には無理だし、ましておしゃれな感じなんて、おしゃれでない私には無理だ~(;^ω^)
お仕事ですが、以前悩んでいた会長からのメモによるダメ出しはもうなくなりました。
会長さんはリア充で毎日いろんな所を飛び回っていて、パートの私のことを気に掛ける時間もそれほどないのだと思います。
この間も3週間ほどヨーロッパ旅行に出かけてましたから。
いやもう、そのへんの40代50代の人たちよりよほどお元気です。
お二人いる子どもさんたちもそれぞれ独立して所帯を持っていて、でも同じマンションに住むという、まさに理想的な高齢者です。
私とは対極にいる感じの人ですね。
ア〇ーディオン仲間のおじいちゃんもすこぶる元気です。
ほぼ毎月どこかに旅行に行っています。
それも、首都圏から近畿まで自分で車を運転して行っちゃうとか、東北のほうの山に登っちゃうとか、やはりそのへんの4,50代の人たちよりずっと元気です。
というか、元気なうちに行けるだけ行っておこうという焦りがあるようで、アクセル全開で出かけまくっている感じです。
孫の自慢話なんて全然しないし。
孫に時間割きたくないのかも(笑)
こちらも二人いるお子さんたちは何の問題もなく独立して所帯をもっていますし、やはり理想的な状況だと思います。
会長もアコ仲間のおじいちゃんも自分のことを高齢者だとは思っていません。
おそらく、元気な高齢者はみんなそうだと思います。
高齢者というのはすこし足腰が弱って歩くのもおぼつかなくて耳が遠くて毎日病院通いをしている人、みたいなイメージでとらえているんでしょうね。
でも、高齢者用のバスの割引制度はお二人ともちゃっかり利用してます。
そういうところはぬかりないのよね~ふふふ。
読んでいただいてありがとうございました。
歌詞かメロディーか
こんにちは。
先日見ていたテレビで「あなたは歌を聴くときに歌詞を重視しますか?それともメロディーを重視しますか?」みたいな質問がありました。
私は超有名で一時期一世を風靡したあるミュージシャンの作る歌の歌詞が好きではありません。
その人が他の歌い手さんに提供した歌も、歌詞が私には受け入れられないのでメロディーが良くてもやっぱり好きではないのです。
と、言うことは、私は歌詞を重視しているのでしょう。
私は大学生の頃、「異邦人」で一躍有名になった久保田早紀さんが大好きで、アルバムもほとんど持っていました。(嵩張るレコードは引越しのときに処分してしまいました( ;∀;))
彼女の歌の何が好きかというとそれはメロディーです。
高音から低音までたくさんの音を贅沢に使い、変化に富んでいてまさにメロディアス。
たわわに実った葡萄の房のようなイメージ。
歌詞を乗せなくても十分聴くことができます。
と言うことは、私は歌詞よりメロディーを優先しているとも言えます。
で、そのテレビ番組に出演していた先生方が、「メロディー重視なのは精神的にちょっと幼い、大人になるにつれて歌詞の良さがわかるようになり、歌詞重視になる」と言っていました。
まあそれはそうに違いないですが、でもちょっと違和感を覚えましたね。
クラシック音楽は、オペラや歌曲を除いてほぼ全てが器楽曲ですが、それを聴くとき、言葉では表されていないけれど何か訴えたり伝えたりしていることを感じたり、風景やなにかのイメージが心に浮かんできたりします。
それは、歌詞のようにわかりやすいわけではないので、やはりある程度年齢を重ねないと感じ取れないのではないでしょうか。
だから、メロディー派はお子ちゃまというのはちょっと短絡的だと思いました。
まあそもそも歌詞かメロディーかなんていう質問が変なんですけどね。
音楽ってそんな単純なものではないですから。
読んでいただいてありがとうございました。