掃除機が故障しました。。。
こんにちは。
私はお掃除が好きなので、掃除機のヘビーユーザーです。
ですので、掃除機にはどうしてもうるさくなります。
結婚して以来、いろんなメーカーの、いろんな機種を使ってきましたが、9年前にスウェーデンのエレクトロラックス社の掃除機に変えてから、すっかり気に入ってしまって、以来ずっとそこの掃除機を使い続けています(今は2代目です)。
ここの掃除機の良い所は、何といっても「静かなこと」です。
パワーは三段階に分かれているのですが、最弱にするともうほとんどささやき声くらいの音量になります。
普段は中で使っていますが、それでも静かです。
日本の掃除機でも静かなのはありますが、キーンという高音が残っていますよね。
エレクトロラックスの掃除機はその耳障りな高音はほぼ聞こえません。音が、根本的に違うのです。
しかも静かなのに仕事はキッチリこなします。
ゴミパックを交換するときにわかるのですが、ホコリというより粉が吸い取られているのです。
性能のいい空気清浄機もフィルター交換すると粉がびっしり付いているのですが、それと同じで、要は掃除機をかけると空気清浄もできてしまう、ということなんです。
静穏性と集塵力が両立出来ているのはここの掃除機ぐらいじゃないかしら。
これはすごい技術だと思いますよ。
デザインも北欧って感じでオシャレです。
お値段も、昔はものすごく高かったですが、今はお手頃価格で、日本のメーカーの方が高いものが多いですね。
でも日本ではあまり人気がないのです。
なぜなら重くて大きくて扱い辛いから。
でもこれは慣れで解消されると思います。
ただ、重いのが嫌な人にはお勧めしません。私はジムで筋トレしているくらいなので重さは全く苦になりませんが、そんな変な人はあまりいませんよね(笑)
でも故障が多いんです。それも同じところが毎回故障します。
おそらく、経年劣化で2,3年に一度は壊れるようになってるんでしょうね。
改良してほしいです。
アフターサービスは2年付いていますが、それが終わると大きな掃除機を自分で梱包して送る手配をしないといけないし、1週間は戻ってこないし、料金は一律17,000円くらいでけっこう高いし、考えただけでうんざりします。
今使っている子も(子?)保障期間ギリギリで一回壊れ、その後また壊れ、そして今再び同じところが壊れました。
前回の修理費と今回のを合わせたら、新しいのが買えちゃいます┐(´д`)┌
日本製の掃除機に変えようかと思い、なんたらドットコムを眺めていろいろ検討しましたが、やっぱりエレクトロラックス製がいいという結論になりました。
日本製の掃除機も、よく壊れましたもん。それも、しょうもない部品がすぐに壊れるので、修理というより、部品の買い替えが多かった気がします。部品といっても安くはなかったので、結局掃除機そのものを買い替えしてましたねえ。
エレクロトラックス社はアフターサービスの対応も素晴らしいのです。電話はすぐに繋がりますし、対応もとても丁寧で、お客様として大事に扱われていると感じます。
でもまた故障しちゃったんだよねえ。困ったなあ。
読んでいただいてありがとうございました。
荒れる娘とドラマ「カルテット」
こんにちは。
久しぶりに娘が登校してくれたのでブログを書いています。
昨日は大変でした。登校すると言っていたのに昼までガーガー寝て、起きたと思ったら、その前日に前期で受けると言っていた大学を「いやだ、受けたくない、知名度が低すぎる、名前がダサすぎる」とゴネ出し、自室に引きこもってしまいました。
じゃあどうするの、出願期日は刻々と迫っていて、調査書も学校に取りに行かなくてはいけないし、受験料も振り込まないといけないし、と、娘に話しかけても返事なしで、結局夕方までまた寝て(小さい頃からなにか面倒くさいことが起こるととりあえず寝るヤツなんです)、朝御飯も晩御飯も食べず(カップ焼きそばを夜中に食べていた)。。。
名前がダサいってなんだよヽ(`Д´)ノ。そこの学生さんたちに失礼じゃないか。良い大学なんだよ。
挙句の果てにまったく受ける予定ではなかった学部まで言い出したので、もう私も嫌になって来て、どこか遠くの大学に行って、そこで就職して、もう帰ってくるなと言いそうになりました。
今朝は睡眠が十分とれたからなのか、朝から上機嫌で、名前がダサいと言っていた大学も前期候補に復活し(゚∀゚)調査書をもらいに登校していきました。
なんなんだあいつ。。。振り回される私はもうくたくたです。
あの気性の激しさはまさしく夫の遺伝子を引き継いでいると言えるでしょう。
明日夫が出張から帰ってきますが、学部を変えるとなると、気性の激しいもの同士、ひと悶着あるのは必至です。どっか逃げたい。。。
さて、私はクラシック音楽が大好きなので、テレビから聞こえてきたりするとなんだなんだと画面に寄って行ってしまう癖があるのですが、日曜日の午後、テレビを付けっぱなしにしていたらとても美しい弦楽器の音色が聞こえてきて、画面に吸い寄せられました。それが、ドラマ「カルテット」でした。
満島ひかりさんが大好きで、そういうドラマがあるというのはなんとなく記憶していたのですが、1回目はすっかり忘れていて、1回目を見なかった人に向けての再放送を私は見たのですね。
いや~もうハマりましたよ~(*´ω`)
満島ひかりさん以外も、松たか子さん、高橋一生さん、松田龍平さん、サンドイッチマン冨澤さん、八木亜希子さん、もたいまさこさん、その他出演陣の豪華なこと。
イッセー尾形さんも1話限りとはもったいない。
ドラマっていうより、舞台を見ているようです。特に、あの別荘のシーンは。
満島ひかりさんが衣裳も含めてが可愛らしすぎてため息が出ます。
先月、東京芸術劇場で、彼女の舞台「かもめ」も観ました。素晴らしかったです。
ドラマの挿入曲で、アコーディオンのソロ曲がときどき流れてくるのですが、これがまた素敵で、楽譜があったら弾いてみたいと思いました。
4人の日常が淡々と描かれているだけでも面白いのに、なにやらサスペンスっぽい展開になって来て、これからどうなるのかますます楽しみです。
「カルテット」以外も、就活中の息子につられて「就活家族」も見てますし、「スーパーサラリーマン左江内氏」は息抜きにちょうどいいので見てます。
あ、「おんな城主直虎」も、一応見てますよ。
さて、ジム行って暴れて汗かいてスッキリしてきます。
読んでいただいてありがとうございました。
空の巣症候群
こんにちは。
空の巣症候群って、近頃はあまり耳にしなくなりました。
最近私は子どもの巣立ちが徐々に近づいてきているのを感じて、辛い状況に陥らないように、心の準備をしているつもりなのですが。
子どもを育てたお母さんたちには避けて通れない道ですよね。
たまに修学旅行などで二人いる子どものどちらかが不在だと、家事がぐんと楽になって不思議な解放感を味わったりしました。
たまたま修学旅行や合宿の期間が重なって、子どもが二人ともいなくなると、家事の量がスカスカになってあれ~?みたいな状況になったり。
でも子どもが帰宅すると洗濯物がいつもの何倍にもなって結局大変なんですけどね(^^;)
そういう状況が半永久的に続くようになるのが空の巣症候群の原因になるのでしょう。
そりゃ家事の量が急に減ったらバランスが取れなくなるし、心身がおかしくなるのは当然だと思います。
今は、宵っ張りの子どもたちと夜中の2時くらいまでテレビを見たりお喋りしたりして楽しく過ごしていますが、このひとときもいつかはなくなるのだと自分に言い聞かせています。
夜の1人の時間を楽しめるようにならないとね。。。
それに、子どもたちには上手く巣立ってもらわないと困るし(笑)
読んでいただいてありがとうございました。(^人^)
今まさに挫折を味わっている娘
こんにちは。
センター試験が終わっていよいよ今日から国公立大学の願書受付が始まりました。
娘もそろそろ受験する大学を、前期後期とも決めないといけないのですが、それがなかなか決まりません。
センターの点数が彼女の行きたい大学を受けるには少し足りないのです。
センター試験を失敗したわけではなく、順調に点数を伸ばして、今までのどの模試よりもよい点数を取ったのですが、行きたい大学はさらに上なので、「せんたくん」や「バンザイシステム」であまり良い判定はいただけませんでした。
親から見れば、センターの点数は娘の実力をそのまま反映したものなので十分納得できるものなのですが、もっと上を狙っていた娘にとってはまさに「失敗」の点数です。
冒険して、上の大学に挑戦するか、安全策をとって、妥当な所にするか、娘は悩みに悩んでいます。
センターの点数がもう少し上だったら・・・でもこの点数になってしまったのはまさに自分のせいで、悔しさやふがいなさで身の置き所がないかのように、ときに私に八つ当たりしてきます。プライドの高さに実力が追い付けないのです。
私も見ていて辛いですが、あまり口を挟まず見守るしかありません。
娘はどこに着地点を見つけるでしょうか。
発達障害者の物語?
こんにちは。
かなり久々の更新になります。
娘の受験でなかなか余裕がなくて自分のブログはおろそかになっておりますが、他の方のブログは読ませていただいて星など付けさせていただいて楽しんでおります(^^)
受験が終わるまで不要不急の外出は控えているので、買い物に出る以外は家でちんまり過ごしていることが多いです。
昨日、新聞の書評欄で見つけた本で、電子版は出てないだろうと思ったら意外にもあったのですぐに購入してあっという間に読んでしまいました。
今村夏子さんの書かれた『こちらあみ子』という小説です。
私は知らなかったのですが、ピースの又吉さんが推していて、太宰治賞と三島由紀夫賞をダブル受賞している作品なので本好きな方には有名な本なのでしょうね。
ちょっとネタバレになります。
あみ子さんは何らかの障害があるらしく、人の気持ちや感情をうまく読み取ることができません。記憶力にも問題があるので、学習にもうまく取り組めず、学校ではいじめられ、とてもつらい状況にあります。
ですが本人はそういう自分の状況もわかっていないので、いたってのほほんと日々を過ごしているように見えます。
でも何かの拍子に自分の行動が何か変だったことを把握する瞬間があり、その時だけは彼女も辛さを味わってはいるようです。でもまたすぐにそれも忘れてしまいます。
そういうあみ子さんを支えている家族は、皮肉にも彼女の悪気のない行動で破壊され、バラバラになってしまいます。
私は特に彼女のお父さんに気持ちが寄り添い気味で、最終的には自分の手に負えなくなって娘をおばあさんに託して去ってしまうのですが、ひどいと感じつつも私ももし自分の子がこんなだったら逃げてしまいたくなるだろうなと思いました。
物語の趣旨とは外れますが、第三者(専門家)に入ってもらうのは重要だと思いましたね。家族は近すぎてうまく処理できなくなってしまうのかも。
とても重い話なのですが、それがあみ子さん本人の立場で書かれているので、物語全体の雰囲気は素朴でほわっとしていて読みやすく、そのギャップがより一層この小説の悲惨さを際立たせているようで、読後感はけっして明るくはありません。やりきれない悲しさが胸にずしんときます。
私はどうだろうと考えずにはいられませんでした。親の立場ではなく、自分の中にもあみ子さんの要素がけっこうあるんじゃないかと思って。
ただ一つ救われたのは、あみ子さんを特別視せずに普通に接していた坊主頭の同級生がいたことです。
あみ子さんのような子がクラスにいたら、おそらく大部分の人はいじめるか、かかわりにならないように行動すると思うのですが、そうではない、器の大きな人もいたのです。
彼はあみ子さんを嫌いもせず、同情もせず、特に優しくもなく(相手があみ子さんだとものすごく優しい子に見えるけれど)ごく普通に、対等に接しているのが素晴らしく、感動しました。
あんな風に振る舞える人間って、世の中にどのくらいの割合でいるのかしら。
この本にはもう一つ、『ピクニック』という短編も収められています。
こちらも、おそらく精神を病んでいるかと思われる女性の話で、でも周囲の接し方があみ子さんのケースとは逆で、私はかなり違和感を持ちました。なにか、おとぎ話を読んでいるような気分でした。
ここまでネタバレしてなんですが、良かったら読んでみてくださいね。
読んでいただいてありがとうございました。
新年のご挨拶と年賀状のこととか
あけましておめでとうございます。
自分の事ばかり書いている役立たずのブログですが今年もそんな感じで続けていきたいと思っております。
いつもお付き合いいただいている方、読者になってくださった方、星をつけてくれる方、もちろん通りすがりで読んでくださっている方にも、心から感謝しております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
自分のブログを始めてから、それまであまり興味のなかった他人様のブログを読むのが楽しみになりました。いつもありがとうございます。
お正月といっても、私も夫も親はすでに鬼籍に入っているので、それぞれの実家訪問というイベントはとうになくなっていて、家族4人だけで過ごしています。
親戚が集まるのは賑やかで楽しいものですが、なければないで気楽なもんです。
以前はお正月に温泉旅行などもしていましたが、子どもももう一緒に行きたがらなくなってしまっているのでお出かけイベントもなくなりました。
最近は私と夫だけで都心のデパートのセールに行くくらいですね。3日までは道も空いているのでドライブも快適です。
さて、年賀状ですが、今どきはみなさんどのくらいの枚数を出されているのでしょう。
お仕事をされている方は取引先があるのでそれなりの数になるでしょうが、私のような完全な専業主婦だと親戚か古い知合い(最近知り合った人とはメールやラインの交換しかしないので)ぐらいしか出す人はいなくなります。
若い頃だと知り合いは多いに越したことはないので、年賀状だけのお付き合いも大切にしていましたが、50を過ぎると人生もそろそろ店じまいな感覚になって来て、もうこの先会うことがなくてもいいかな、という人には、喪中の年賀欠礼をきっかけに、年賀状そのものを止めたりしています。
上下関係のない相手だと、たいていこのやり方で年賀状のやり取りは終わりますね。
ちょっと寂しいですが、たぶん相手方にとっても面倒が減っていいのかも、と思っています。
なので、今年賀状を出している人たちは、この先、チャンスがあればまた会いたいなと思える人たちです。
相手がそう思っているかどうかはわかりませんが、今年はこのやり方で、私が出した人からは全員元旦に年賀状が届きました。需要と供給がぴったり一致した?(笑)
読んでいただいてありがとうございました。
ジムでなくて事務のお話
こんにちは。
明け方まで勉強していた娘が力尽きてソファーですやすや寝ています。
その下の座布団でネコが丸くなってふがふが寝ています。
幸せな光景です。
常に暴風雨警報のような夫と暮らしていると、こういう平和な光景にほんとに癒されます。
子どもの寝顔はいくつになっても可愛らしいものですね。
私は今まで事務の仕事しかしたことがありません。
大学生のころは販売員とか塾の先生とかちょこっとやったことはありますが、4年生のとき週4日でバイトしていたのも法律事務所で、その頃普及し始めたばかりのワープロを使っての事務作業をしていました。
今思えばその頃にちゃんとなにか資格をとっておけばよかったのですが。。。
私は書類を作ったりする地味な作業がけっこう好きなので、卒業後もアパレル関係の会社に入って経理の仕事をしていました。
結婚して、夫が海外に行くことになるまでの間も、小さな貿易会社でやはり事務の仕事をしていて、タイプライターをカチャカチャ打っていました。
下の子が小学校に上がって働き始めましたが、それも事務のパートでした。
が、その会社は今まで私が経験してきた仕事とは比較にならないくらい大変な会社でした。
ブラックとかパワハラとかそういう事ではなく、とにかく毎日が綱渡りのような会社だったのです。
マンションやビルの管理会社の下請けの会社で、普通のメンテナンスだけなら楽なのですが、トラブル対応も24時間体制でやっていたので、常にトラブルありきの仕事でした。
緊急対応は、多いときは1日に5件とか10件とか入ってきます。
緊急専門の作業員なんていないので、通常のメンテナンス作業を行っている社員さんに連絡を取って、抜けても影響のなさそうな人に行ってもらいますが、それも限界があってもう全く身動きが取れなくなってしまうこともよくありました。
管理会社や被害にあっている居住者や管理人から催促の電話がじゃんじゃんかかってきて、その対応で自分の事務作業もできなくなってしまいます。
それに緊急の作業はやはり大変なので、社員さんもあまり行きたがらなくて、お願いするのもすごく気をつかいます。
さらに、そういう緊急対応は、正社員であろうがパートであろうが電話を取った人が最後まで責任を取ってあちこちに連絡をしないといけないので、そのプレッシャーもかなりなものでした
下請けの悲しさも初めて経験しました。
親会社は面倒な仕事は丸投げしてきます。本来は親会社がしないといけない作業(事務も含む)も回してきて何かミスがあれば全部こちらのせいにされ、さらに、料金の値下げをしつこくしつこく要求してきます。(結構な額をピンハネしているくせに)
断ればもううちには仕事を回さないと言ってきて、まさにパワハラでした。
でも、実はその仕事はなかなか大変な内容で、あまりやりたがる人もいない業種なのでライバル会社もほとんどなく、偉そうに言ってくる親会社も、結局はこちらに回すしかないのです。
なので、仕事の依頼は増える一方で、親会社はいくら断っても押し付けてくるのでした。
大変すぎて本当に下請けをやめてしまう会社もありました。
居住者からの電話対応も疲れました。
正確に言うと、その会社の取引先は親会社なので、居住者はお客様でもなんでもないのですが、何か勘違いしている居住者がたまにいて、無理難題を言ってきたり、全然関係のないことまでやってほしいと言ってきたり、偉そうな物言いだったりで、電話が終わるとぐったりすることもよくありました。
細かい事務作業も多く、時間も食うし、そういう人件費とか正確に計算したらほとんど利益の出ていない作業も多かったと思います。
仕事の依頼がどんどん増えて行って作業量が増えてももちっとも儲からないのです。
私が勤めていたのは支店だったのですが、本社もひどかったですねえ。同族会社ならではの面倒くさいことも多々ありましたがそれは伏せておきます(笑)
とにかく、事務員は、親会社にも管理人にも居住者にも作業員のお兄さんたちにも下請けさんにも本社にも頭を下げなくてはならなくて、本当にストレスフルな職場でした。
作業員のお兄さんたちもなかなか居つかなくて、人の出入りも激しかったです。
人の好いお兄さんは上の人から面倒な仕事を押し付けられ続けて嫌になって辞めていくし、どうしてこんな人を雇ったの?的な人はやはりすぐに辞めていきました。
パートとして10年勤めましたが、初めてのガテン系の会社での事務でした。いい勉強をさせてもらったと思っています。
それまでは、街を歩いても作業服を着たガテン系のお兄さんたちはほとんど目に入っていなかったのが、すぐ目に付くようになり、彼ら彼女らに日々の暮らしが支えられているのだなと、感謝するようになりました。
きっと今日も綱渡りのように作業をこなしていることだと思います。お疲れ様です。
読んでいただいてありがとうございました。
格が違う。。。
こんにちは。
いつもテレビで観戦しているのですが、毎回選手たちの笑顔や涙に胸を熱くしています。
今年は4連覇がかかっていた羽生選手がインフルエンザで出場できず、悔しい思いを味わったことだと思います。ゆっくり療養して、また世界選手権で復活してほしいですね。
羽生選手が不在なので、宇野選手がすんなり優勝するのかと思ったら、意外と苦戦していて、彼も悔しい思いを味わったことと思います。でもこの経験が将来につながるんでしょうね。世界選手権でも存分に力を発揮してほしいです。
そして浅田選手。
バンクーバーやソチでともに戦ってきた仲間たちがどんどん引退していく中、たった一人、まだ戦いを続けています。
私は今回の大会ほど彼女の存在の大きさを感じたことはありません。
特に、ショートプログラムの6分間練習での彼女の姿は、可愛らしいヒヨコたちの中にいる一羽の白鳥のようでした。(私は若い選手たちをディスるつもりはもちろんありません)
ああいうのを「格が違う」というのかな。。。
試合では膝の怪我の影響もあってジャンプが今一つ決まらず、他の部分でも彼女の理想とする演技はできなかったようですが、ソチオリンピックのころよりさらに磨きがかかった表現力、場の支配力にすっかり目を奪われ圧倒されてしまいました。
彼女の、私はスケートが大好き!っていう気持ちも溢れ出ていました。
(たま~にですが、この人ほんとはスケート好きじゃないんじゃないの?って感じさせる選手もいますよね(^^;))
この大会で大活躍した多くの若い女子選手たちも、おそらく、幼い頃に浅田選手の演技を見て、あんな風になりたいとスケートを始めたのではないかしら。
浅田選手の存在なくして今のスケート界の活況はなかったでしょうね。
彼女こそレジェンドだと思います。
これからも彼女の思うがままに、スケートを続けていってほしいと思っています。
読んでくださってありがとうございました。
ツイッターも居場所がなくなりつつある。。。
こんにちは。
今日は大掃除するつもりはなかったのですが、ちょっと汚れているので拭いておこうがだんだんちょっとでなくなり、気が付けば台所全体の拭き掃除をしてしまっておりました。まあ綺麗になって気分良いですが、手袋しなかったので手が荒れるかも。
激〇ちくん、ほんとによく仕事しますよ~(^^)ほぼ洗剤なしでいけます。
Twitterを始めたのは2010年の秋。
その2年程前に某スポーツ選手のファンになり、しばらくは地道に試合を見に行って隣の人に声をかけたりネットで情報を集めたりしていたのですが、どうもみんなブログや掲示板からTwitterというものに移動していったいるということを知り、この流れに乗らないと情報が得られなくなると焦った私はTwitterがどういうものかもよく知らずにアカウントを作ったのです。
おっかなびっくりでしたが、とりあえずフォローした人に必ず声をかける、ということをしていたら、けっこう親切な人が多くて、あっという間にツイッター仲間が出来上がりました。
なので最初の1,2年はほんとに楽しかったです。
私は関西出身だからかわからないけど、なにか面白いことを呟いてフォロワーさんたちを笑かす、ということにハマってしまって、同じ関西出身者の人たちと所帯じみたことを呟きながら毎日盛り上がっていました。
そうこうするうちにオフ会をしよう、ということになり、ツイッターで知り合いになった全国の〇〇選手のファン30人くらいで集まったりしました。
ツイッターですでに親しくなっているので会は大いに盛り上がり、試合があるときは連絡を取り合って一緒に見に行って、そのあと飲み会でまた盛り上がる、というのが恒例になりました。
で、今はどうなっているのかというと、そのとき親しくしていた人たちは、もうほとんど呟かないか、RTだけする感じで、私のTLで盛んに呟いているのはいわゆる「負けん気の強い人」だけです(笑)
私ももうあまり呟かなくなってしまいました。とくにそのスポーツに関しては、もう安易に呟けなくなっています。。。
親しかった人たちともあまり連絡を取り合うこともなくなり、寂しいツイッター生活になってしまいました。
とりあえずアカウントは消さずに時々覗いています。
これってツイッター界ではよくあることなのかしら。
諸行無常といいますが、人間関係も常に移ろっていくものですね。
それにうまく乗っかっていかないと、またいつの間にか存在を忘れ去られてしまうのでしょう。
どうしてそうなってしまったか、については、長くなりそうなのでまた日を改めて書きます。ご興味があればまた読んでくださいませ。
読んでくださってありがとうございます。
淘汰されていく私
こんにちは。
すっかりご無沙汰しておりました。
ここのところ、自分を追い込むようなイベントが続いて、精神的に全く余裕がなく、更新が滞ってきましたが、やっとぼっちな日常に戻り、ブログの時間も確保できるようになって嬉しいです。
ほんとは大掃除しないといけないんですけどね(^^;)
私みたいな友達がいない人にはあるあるの出来事だと思うのですが、子どもが新しい学校に進学するとかで人間関係も一から築いていかなくてはならないとき、最初は頑張って自分から声をかけて、上手くグループを作ることができても、気が付くといつの間にか自分だけ一人ぼっちになっている。。。と、いうことが、私には本当によくあるのです。
とりあえず知り合いはできた、ってことで、安心してぼーっとしていると、他の人たちはどんどん距離を縮めていってもっと深い付き合いに入っていってる。
そのことに全く気付かず、なにかの拍子に自分が外されていることに気づいてガーンってなっちゃうという。。。
これは何度経験しても、いくつになってもやはりショックです。
自分としては明らかに嫌われるようなことはしていないつもりなので。
でも、この、「何もしていない」のが最大の原因なんですよね。
大人の女性のお付き合いでは「何もしない人」は「いない人」と同じ意味なので。
これが一種のトラウマみたいになって、どうやって人とお付き合いすればいいのか、さっぱりわからなくなってしまうのです。
傷つくのが怖くて、対人関係がますます苦手になり、表面的な、その場限りなお付き合いしかできなくなってしまって、友達なんてできるわけありません。
マメに連絡を取ったり、何かあればプレゼントをしたり、ちょっとした頼み事をしたり、自分は決して主人公にならず常に他の人をたてるような会話をしたり、そういう事がさり気なくできるようになりたい。。。
でも無理です。このズボラで面倒臭がりの私には。
なので、淘汰されていく自分を、まあしょうがないか、こういう風にしかできないんだからとボケっと眺めています。
読んでいただいてありがとうございました。m(_ _)m
苦手を克服したくなる癖①
こんにちは。
最近、私がよく行くジムのクラスに、ある年配の女性の方が参加されているのですが、インストラクターの先生の動きについていけなくて、45分間ほぼ突っ立ったままなのが気になってしょうがない管理人です。
あれならマシンで自分のペースで運動するとか、ヨガなどのゆっくりした動きのクラスに参加する方がいいんじゃないかと。。。時間がもったいない。
でもご本人はそれで十分楽しいのかもしれないし、レッスンを乱しているわけでもないし、先生も根気よく教えてあげているので、「大きなお世話よ!」ってことになるのかな(笑)
誰にでも苦手なものってありますよね。
私はなにか苦手なことがあるとわざわざそこへ突進していく癖があります。
苦手なものがあるとなにか不安でモヤモヤしてしまって、とにかくそれを取り除きたくなるのです。
苦手なものを減らすより、得意なものを伸ばす方がよいって、よく子育ての場面で耳にしますよね。
苦手なものに突進していくのはあまり効率の良いものじゃないのかもしれない。でもこの癖はなかなか直りません。
たとえば車の運転。
私は運転は絶対自分には無理だと思って、20歳になっても教習所には行きませんでした。
そのまま結婚して(主人もペーパーでした)、何年かしてロンドンに1年赴任することになって初めて、海外に行くのに免許がないのはまずいのではないかと思い至り、大急ぎで東北の某県の合宿教習所へ行きました。
合宿教習所って、二十歳前後のヤンキー上がりの子や50歳過ぎたおばちゃまや働き盛りの40歳代のおじさんなど、ほんとうに様々な人が来ていて面白かったです。ヤンキー上がりの子たちとはなぜか気が合って飲みに行ったりしてました(笑)
その頃はまだオートマ限定なんてありませんでしたから、クラッチ踏んでエンストして、それはもう大変な苦行で泣きそうでしたが、なんとか免許を取得することが出来ました。今でも、よくマニュアルで免許が取れたものだと思います。
でも苦手意識は相変わらずなのと車を持っていなかったのとで、結局その後8年ほど完全なペーパードライバーとして過ごしました。
なので海外在住中も、車なしで過ごしていました。
でも帰国してから、小さい子供二人を連れて買い物に行くのが大変なのと、幼稚園の運転上手なママたちを見て羨ましくなり、ついにペーパードライバー教習を受ける決心をしました。
最初は恐々でしたが、ある時なんとなく運転のコツを掴んだような気になって、それで恐怖心がほぼなくなり、車庫入れもスイスイできるようになり、教習所の先生にも問題なしと言われて、ようやく自信をもって運転できるようになりました。
それでも最初は電柱にこすったりしましたが(^^;)運転そのものは好きになって、家族で遠出するときも夫に代わって運転するようにもなりました。
好きな音楽を聴きながらの一人ドライブの楽しさも理解できました。
というわけで、「車の運転が苦手」はかなり克服できました。
苦手がひとつ減るとちょっと嬉しくなってしまって、またなにかに挑戦したくなってしまうんですよね。
でもいつも上手くいくとは限らないもので、上手くいかなかったときのこともまた書くつもりです。
読んでいただいてありがとうございました。
WEB出願
こんにちは。
手荒れのシーズン突入で、あかぎれだらけの手になってしまい、キーボード打つのもイタタイタタになっている管理人です。
炊事のときは薄手の手袋をはめ、こまめにハンドクリームを塗っても、手荒れには毎年悩まされています。
指先の何本かは常に絆創膏状態になっています。あっちが治れば今度はこっち、みたいないたちごっこが続きます。
楽器を弾くときは絆創膏を剥がしてイタタイタタのまま弾かないといけなくて、全く困ったものです。。。
さて、入試シーズンも本格化してきまして、娘のクラスも公欠を取って推薦入試を受けているクラスメイトがちらほら出てきました。
最近は出願もネットなんですね。
ほんの3年前、息子が受験したときは、ネット出願なんて一校もなかったです。
隔世の感です。
娘が受験予定のところもほぼ全てWEB出願の体制が整っています。
出願書類に黒のボールペンで間違えないように慎重に記入して、銀行や郵便局の窓口で受験料を支払う、なんて手続きも昔話になってしまうのかしら。
カード払いもコンビニ払いもOKよ!みたいな、お買い物感覚になってきました。
さっそく1校だけ入試日の早い学校があるのでWEB出願の手続きをしてみたのですが、どの学科を受けるのか、娘と話を詰めていなかったことに気づき、今日は登録だけで終わりました。
娘は工学系志望なのですが、機械やら電子やら情報やら建築やらなんたらシステムやら、文系の私にはチンプンカンプンです。
もちろん娘もあまりよく理解してないのですが、でも私がこの学科が受かりやすそうとかで勝手に決めるわけにもいかないので(笑)
読んでいただいてありがとうございました(^^)
センター試験まであと45日≒ブログが書けない
こんにちは。
1週間以上ブログが更新できませんでした。
ロシア民謡の「一週間」ではないですが、何をしていたか簡単に書きます。
月曜日・・・猫を動物病院へ。
アレルギーのせいで頭にハゲが出来てしまいました。人気のある先生なので2時間待ちです。夫はほっとけば治ると言ってまともに取り合わないのでこっそり連れて行きました。原因は猫の砂を変えたことで、また元の砂に戻したらすっかり良くなりました。S先生さすがだ!
火曜日・・・楽器のレッスン。
遠いので一日仕事です。楽器重いし(カバーも入れたら12キロくらいになります。それを背負うのですが、もう重くて重くて辛いです)
水曜日・・・着付けレッスン。
半襟付けをしました。針と糸でチクチク・・・意外と簡単だった(^^)
木曜日・・・着物のアウトレットバーゲンへ。この日は雪でものすごく寒かった( ;∀;)
入場券がないと入れない、よくあるバーゲンです。
でも実際は高い着物や帯を買わせるのが目的で、30分くらいセールストークにお付き合いしました。が、私もこういうのはもう断り慣れているので相手もすんなり引き下がりました(笑)そのあとそこにあった最も安い反物でコートを作りました。安い反物を店員さんが二人がかりで一生懸命探してくれたので、まあまあいいお店ではないかしら?
金曜日・・・学校のママ友さんたちと鎌倉の某お寺で写経。
朝の9時現地集合という、なかなかなスケジュールでした。写経はまず写経料として1,000円、お願い事も書くのでお心づけとして1,000円、さすが鎌倉、なんでもお金がかかるのね~(;^ω^)そのあとランチをしてお土産を買って帰りました。
皆さんとにかくよく出来たお母様方で、私はぼ~っとしたまま、ひたすら感心するばかりの1日でした。
土曜日・・・楽器の練習と打ち合わせでカラオケ屋さんへ。4時間ほど籠りました。
日曜日・・・娘とおそらく最後のオープンキャンパスへ。
家から1時間ほどのところにある某単科大学へ行ってきました。受けるかどうかはわかりませんが・・・帰りに久しぶりに娘とショッピング。
そんなこんなのバタバタと慌ただしい1週間でございました。
今週はうってかわってほぼ予定なしなのですが、娘が家にいる時間が長くなり、リビングを占領して勉強するので私はブログ更新も楽器の練習もままなりません。
センターまであと45日ということで、娘もいよいよ追い込まれています。
と、いうわけで、タイトル通り、センター試験とブログが書けないの相関関係が構築されてしまうのです。
おそらく、3月終わりまでこんな状態が続くでしょう。
読んでいただいてありがとうございました。
昭和の名曲
こんにちは。
息子が帰ってきません。
昨日息子の大学の学園祭の最終日で、オールで打ち上げでもしたんでしょうか。
さっき、今日は晩御飯要るのかどうかメールしたら要らないという返事が返ってきました。何してんでしょうかねまったく(-_-;)
さて、歌の伴奏ボランティアの日がまた近づいてきたので、ネットで歌詞を探したりしていたら、昭和の名曲集みたいなのを見つけてしまって、聞き入ってしまいました。
村下孝蔵さんの「踊り子」とか、谷村新司さんの「群青」とか、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」とか、名曲は今聞いても全然古臭くないのですね。感動です。
さだまさしさんの「無縁坂」なんて、素晴らしい歌詞で、目から汁が出てきました。
村下孝蔵さんは特に好きで、昔はカラオケでよく歌ってました。歌詞もメロディーもほんとに美しい。早くに亡くなられて本当に残念です。
しかし、歌の会に来られるのは70・80代の方が多いので、この辺の歌は使えません。ご存じないので。
なので今回は「大きな古時計」と「故郷」と「蘇州夜曲」にしようかな~。
「涙そうそう」もいいけど、ちょっと夏っぽい感じがしないでもない・・・
明日お仲間と会うのでまた相談しなければ。
ところで、谷村新司さんの「群青」を聞くと、やしきたかじんさんの「砂の十字架」を思い出してしまうのは私だけでしょうか(^^;)
読んでいただいてありがとうございました。
胸がデカくて良いことはほとんどない
こんばんは。
もう年末に近いので朝から換気扇のお掃除をしました。
さっぱりして気持ちいいです。
さて、突然ですが、私のブラのサイズは70のEです。
意外とデカいのです。
しかし、胸がデカくて良かったことはあまりありません。
そこで、今回は胸がデカくて困ることをいくつか申し上げたいと思います。
①合うブラジャーがなかなか見つからない
バストサイズが大きい人=太っている人という風に思われがちですが、細くても胸が大きい人はけっこういます。
お手頃価格の製品だと、カップサイズがDとかEになるとアンダーバストも75センチ以上の物しかなくて自分のサイズが見つからないことがあります。
なので、あまり肌着とかにお金をかけない私ですが、ブラジャーだけは有名メーカーのものをちゃんと試着してぴったり合うものを時間をかけて探さないといけません。
面倒くさいです。
もっと困るのがスポーツブラです。
サイズがS・M・Lとかに分けられてしまうと、70Eに合うものはありません。
無理してLサイズなんかつけてジムで暴れたりした日には、ブラがだんだんずり上がって来て、その下からお乳がコンニチワ、なんて悲惨なことになります。
仕方がないので普段のブラで運動しています。
先日自分のサイズに合いそうなスポーツブラを見つけたのですが品切れでした(-_-;)
和装ブラはさらに選択肢が少なくなるので合うものはないです。
ブラなしで着るという手もありますが・・・
②妊娠中はスイカ状態
妊娠すると直ちに胸がおっぱいの準備に取り掛かるので、どんどん大きくなっていくのですが、もともと大きい人がさらに大きくなると、もうそれはスイカが2個ぶら下がっているような状態になります。
乳輪も大きくなってしまうので、化け物のようです。まさに乳牛(ちちうし)です。
鏡で自分の胸を見るたびに、うひゃあとのけぞりそうになりました。
そのくせ、大きいからと言ってお乳が大量に出るわけでもないので、それがまた腹立たしいのです。
③役目を果たしたおっぱいのその後が悲惨
子どもが卒乳すると、役目が終わったおっぱいはあっという間に萎んでいきます。
でも元の姿には決して戻りません。
だら~んとだらしなく垂れた状態になります。
これがとても取り扱いに困るのです。
ブラジャーをするときは、体をかがめて、おっぱいを上手にブラの中に納めなくてはなりません。長く垂れさがったおっぱいを折り畳んでカップの中に入れ込むのです。
授乳を終えたおっぱいは張りもなくなってフニャフニャです。
子どもたちとお風呂に入っていたときのことです。
下の子が膝の上に座ってきたのですが、垂れさがったおっぱいの上に座ったもんですから、もう、痛いのなんの(;´Д`)なんでこんな目に合うのか、情けなくなってしまいました。
胸が小さいより大きい方がよい、なんて日々は若いころの一瞬で、その後は取り扱いに困る日々が何十年も続くのです。
Bくらいがいいよね。。。
読んでいただいてありがとうございましたm(__)m